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2013/07/26(Fri)  三蔵フライデー「個々合象者」(001)  

三蔵フライデーを書き始めてから、三蔵日記は毎週更新されている。月光寺中傷事件に対する義務的な意味もあってのことだ。しかし以前からの読者の声では「硬い話も多いけれど、毎週の更新は楽しみです」なんて思いを伝えられる。ところで今回のタイトル「個々合象者」分けの分からない単語だが、神学派用語。簡単に云えば「個人の役割」本稿では登場人物の紹介として使っている。

最近 MRSに「前略〜 メニスさんは、よくカナダへ行かれていますが、ムーンライトスタジオのような仕事ですか?ラファティ先生とは、何の先生ですか? 〜後略」と云う質問が着た。

メニスは日本とカナダの滞在が半々だ。これはムーンライトスタジオの仕事と直接の関係はない。ただ、何かのついでにビデオ撮影を行うことはある。
もし毎回が撮影等だったら、メニス作品が沢山発表されているはず。

ラファティ先生は、今までの投稿で「ただ一人、本名で登場していた人」だ。先生以外はビデオモデル等の芸名だったから、当然本名ではなかった分け。ラファティ先生の仕事はカナダBC州立大学UBC(注一)アジア学部(注二)で日本語を教えること。姓は、結婚相手がカナディアン男性だったので、カナダ国籍のラファティになられた。日本語教師としてのラファティ先生は、現在も現役。私はゲスト講師で参加している。ラファティ先生が日本で用事をされる時に、メニスはカナダ居宅の留守番を兼ねて滞在しているのです。

月光寺中傷事件ではラファティ先生に多大な迷惑をかけた。
忙しい中の訪日でカナダ大使館(注三)へ行かれたり、日本語を理解するカナディアン弁護士を探したりされた。その理由は「MRSホームページでの投稿写真」と「私のプライベートブログへ掲載している写真」を編集して犯行材料(注四)に使用されたからだ。

写真はBC州時間での2013年7月9日。バンクーバー国際空港にて。

(注一)THE UNIVERSITY OF BRITISH COLUMBIA
(注二)Department of Asian Studies
(注三)2012年05月11日 三蔵フライデー「ネット犯罪の摘発」(003)参照
(注四)2013年01月11日 三蔵フライデー「ネット犯罪の摘発」(006)参照



2013/09/20(Fri)  三蔵フライデー「個々合象者」(002)裏表  

昨日から私はロサンゼルスに居る。
今回は硬いほうの仕事仲間が多数来ているので賑やかだ。かやみも手伝いがてら来てくれている。かやみにはウッキーさんと云う有力な知り合いが居るので恩恵に肖(あやか)るためだ。仕事ではあるが当然、月光寺中傷事件の話題が出る。月光寺中傷事件は関係者ならば誰もが知っていることだ。しかし我々が沈黙を守っているのに興味がそそられるらしい。三蔵フライデーでの記事は最低限度のものであるし、実際の準備行動の詳細は割愛しているから、皆はそれを知りたいのだ。単なる「言いあい」ならば、誰の言っていることが本当か分からない。更に私はイメージで脚色しやすい表相を持っているから、中傷するには子供の知恵でも出来る。

私は民事裁判なんて興味がない。どうすれば刑事裁判に持ち込めるかを研究しているのだ。またそれが自分の役目だとも考えている。

ところで今回の投稿「個々合象者」では私自身のことを語ってみることにした。意外と思うだろうが性格は結構真面目だ。もちろん自己評価である。(普段の私は)勉強が好きで部屋に閉じこもっていることが多い。アダルトビデオ制作に縁が出来たキッカケも、ビデオ制作をしている友人から「硬い勉強や仕事ばっかりしていたらダメやで!あんたはカメラが趣味やろ。俺とこの撮影でも気晴らしに手伝いに来て」と言われてからだった。もちろん以前から、写真や個人ビデオは自分なりの芸術として嗜んでいた。

私は小学生低学年で父にカメラを買ってもらった。だから、カメラ小僧歴は約50年になる。小学生の頃から女性のヌード写真が大好きだった。但し、実際に自身のカメラでヌード撮影が出来るようになったのは20代に入ってからだ。友人のビデオ撮影を手伝いに行くようになったのは30代に入ってからで、その頃からの撮影実績と泉野鏡子との出会いが後のMRS構築の礎となる。初期の「月光寺MRS」はケーブルテレビの教育番組制作。私が講師になって占い講義を制作放送していた。その時のメインカメラ担当が山下昌子。「月光寺MRS」の活動が終了して後、山下昌子がその機材を借用してMRSムーン・ライト・スタジオが発足した。そして泉野鏡子の名が誕生した。私は高田三蔵と写真家名を持ってMRSを支援したが、作品製作においては「自分の住む世界を作るような心情」で誠心誠意行ってきた。

ここで少しだけ月光寺中傷事件の話をするが、今年7月に現れた月光寺中傷を目的としたブログがある。ドイツ人の弁護士によると、これが刑事裁判に持ちこめるチャンスに成るかもしれないと云うのだ。詳しくはここでは遠慮しておくが、裁判資料として成立するように公証役場で証明をもらってある。そこにあった記事で(ロサンゼルスにて)仕事仲間の話が盛り上がった。中傷ブログの文に「私の表の顔」として坊さん姿で学生と写っている写真を掲載していたのだが「私は山下さんが坊さんだったと知ったのは三蔵フライデーを読んでからですよ」と言った女性がいて、皆で大笑いしたのだ。
しかも、そう思っていたのは一人ではなかった。
結局「裏の顔が坊さん」でしょ!・・・と云うのが彼女の見解となった。

話は全然変わるが「孔雀王」と云う漫画(注一)を単行本で読んだことがある。そこには裏高野と云う組織が登場する。つまり弘法大師の高野山密教を題材にしているのだ。そして此処からは私の妄想だが「裏高野とはアメリカのことだ」なんて思ったことがある。因みに、この投稿はリトル東京所在のミヤコホテルLAで打っている。写真は投稿中の部屋から見た高野山米国別院だ。

(注一)作者:荻野真 週刊ヤングジャンプ1985年〜1989年連載



2015/03/13(Fri)  三蔵フライデー「個々合象者」(003)坊主  

先日、この写真を見たシモーヌさんが興奮して「シエラちゃんだ!」と言ったそうです。「これは僕が子供の頃の写真ですよ」とメールを送っておいたのですが、どうやら知っていての発言だったらしい。実はこの写真が「シモーヌさんの知っている男の子シエラちゃんにソックリ」と云う意味だったのだ。

「個々合象者」の前回は2013年9月20日ロサンゼルス滞在中の投稿だったが、その文中にて「私は小学生低学年で父にカメラを買ってもらった。だから、カメラ小僧歴は約50年になる。小学生の頃から女性のヌード写真が大好きだった」と述べた。子供のことを坊主と言うことがあるが、私は子供の頃からエロ坊主だったようだ。但しこれは笑いを取るためではない。エロスと云う言葉に見出した深い想いがあるのだ。
何れ「ギリシャの語り」で述べることにする。

手に構えているカメラはオモチャに近いものだった。けれどチャント写真は撮れた。当時一ヶ月の御小遣いでフィルムが一本買えた。現像プリント代も、ほぼ一ヶ月の御小遣い相当の金額だった。最初の一ヶ月でフィルムを買い、次の月に現像プリントをしてもらう。フィルムでの撮影が12コマ。だから二ヶ月間で撮れる写真が12枚、一ヶ月間だったら6枚だ。一枚が貴重だったから、シャッターを押すまで「何を撮るか」慎重に考えた。

今はデジタルだから何枚でも好きなだけ写真が撮れる。撮ってから気に入ったのを選べばよい。それは幸せなことだが、それでは一枚一枚を大切にする心が希薄になる。やはり今でも、シャッターを押すまで「何を撮るか」を真剣に吟味することが必要だ。数撮った中から偶然的に捉えた虚像を取るか、写しておきたい実像を撮るか。今になって、撮影スタイルの襟を正す必要を感じる。



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