写真は平成31年3月29日、孫と一緒に大宰府政庁跡に行った時である。後ろ姿になっているのは、たまたまであって顔を隠しているわけではない。左は泉野鏡子、運転手として参加。右は不足名姫(たらずなひめ)、私の長女である。旦那さんも来ている。私としては仕事を兼ねた一週間、孫との娯楽を楽しんでいた。
4月1日、未だ九州滞在の中、新元号「令和」の発表があった。名由来出典が万葉集「太宰府にて、山上憶良先生を囲んで書かれた一節」で「初めての国書に出典を求めた」と報道されていた。でも、それは変だ。今まで、漢籍を気にとめない元号があったはずだ。しかしながら、学校の教科書レベルだと「初めて国書に出典を求めた」となるのだろう。何れにせよ、歴史の事実に近づいたのだから、良いことである。
令和元年元日、山下訓弘 記す
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