[TOP]霊博メ談義
2012/06/22(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(001)  

最近「マインドコントール」と云う言葉を見聞きすることが多い。これも流行なのだろうが、使用法は本来の意味から離れているものが目立つ。この手の言葉は卑怯(ひきょう)な人間に利用されるのが宿命だ。刑法にある「罪を犯す意なき行為は之を罰せず」等も同じく卑怯な人間に利用される可能性が高い。

「マインドコントールをされていたから」と本人が語れば「それは嘘」と考えるのが妥当だ。本当にマインドコントールをされている者は、マインドコントールから解き放たれた後「明確に自己利益を主張できない」つまり、マインドコントールをした術者と自分との相互関係を正確に把握出来ないのだ。(変な宗教家が何を言ってる)と偉い先生が云うかもしれないが、それが現実なのだ。とりあえず「私はマインドコントロールをされていた」と云う人がいたら、その人は(卑怯な奴だ)と思うのが無難だ。

話は変わるが、私が初めて週刊誌に載ったのは昭和62年のことだ。自分の記事(注)を読んだ感想は(週刊誌は書きたいように書くんだな)と云うことだった。つまり「事実を正確に書く」のではなく(この人はこんな人だ)と決めてから、取材した内容を利用して「本当にこんな人だ」と像を結んでいくように観える。

ここまで読んで「どこが霊能者談義?」と思うだろう。今回だけでは意味不明かもしれないが、これから霊能者について語る上で(001)は凄く重要な内容です。シッカリと頭に入れておいて欲しい。

(注)昭和62年(1987年)2月12日発行、週間サンケイ。



2012/08/03(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(002)  

私が20代の頃は「神霊写真」が大流行だった。今でも話題にはなるが、当時と違って一時ネタとして取上げるだけだ。
今でも根強い研究者は居るのだが、一般的には沈静状態だ。

ところで今回の掲載写真は、よみうりテレビ「2時のワイドショー」の原稿だ。
タイトルは「恐怖体験!!私は死後の世界をさまよった」私は神相学派導士として出演した。これが霊能者として公に出た最初である。
どんな話をしていたかは YouTuve で紹介できるかもしれない。

ところで本題の「霊能者談義」だが、とりあえず私が「どのように大衆文化に関わってきたか」から知ってもらいたい。どんな話でも「どのような立場の人が話しているか」は重要だ。マスコミで観る表相に翻弄される前に、夫々の舞台裏を覗いておくのが(霊能者談義を進める上で)得策なのだ。



2012/08/31(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(003)  

月光寺中傷事件ははネットから始まった。そして講談社と毎日新聞社が絡んできて協策稿が出来上がった。協策稿の中身には事実が羅列してあって、それらを曲解した結果を文意として訴えている。ある事から無い事をつくる技法故の中傷行動だった。その表相主人公は私だが、本当の主人公は告発者である。

ところで今回の話題は霊能者談義、月光寺中傷には一人の霊能者が登場する。陰陽師神政館の山下款ニ館長だ。告発者山下明宣の文で最も滑稽だったのが「山下款ニ館長が私の部下」のように言っていることだった。山下款ニ館長のブログを見てもらえれば「誰かの下で働くような人ではない」ことが分明だ。

サンデー毎日から取材に来た大場弘行氏は、陰陽師神政館の山下款ニ館長への取材も行った。そして記事では、館長のことを(兵庫県西宮市の自称「霊能者」)と書いて(注一)いた。文としては適切で、この部分からは大場記者の賢明さが伺える。確かに彼は自分が霊能者であることを自覚しているし、私からも霊能者に観える。

ところで今回の中傷事件では、私のプライベートブログのパスワードが盗用されて関係者に迷惑をかけた。そう云えば、山下款ニ館長が「ブログのパスワードを変えないとダメやで」と私に言ってくれたのは中傷事件が起きる一年以上前だった。

写真は、山下款ニ館長と参拝先の神社近くで偶々会った時。
手前のオッサンが私で、後で指手しているのが彼。

(注一)2012年4月8日増大号(3月26日発売)P37四段18行〜最下段2行



2012/09/07(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(004)  

前回の「霊能者談義」(003) では、陰陽師神政館の山下款ニ館長について語ってみた。サンデー毎日から取材に来た大場弘行氏は、誌上に館長のことを(兵庫県西宮市の自称「霊能者」)と書いて(注一)いたが、私が彼と初めて会った時、彼は霊能者ではなかった。

そして会う機会がない期間を経て再会したら、自称「霊能者」になっていたのだ。彼が霊能者を自称する前は「因縁やらを語る人は信用出来ない」と主張し、私のことを(多分)うさんくさい奴だと思っていたはずだ。

ある時、彼から電話があって「師匠は六壬神課や式神の専門家やろ。色々と資料提供をして欲しい」と言った。因みに、私のことを師匠と呼ぶのは「私が周囲の人達から師匠と呼ばれていたから」であって、以前から彼と師弟関係にあったわけではない。師匠と云うのは「私の愛称のようになっていた」のだ。山下款ニ館長が霊能者として目覚めて行ったのは「自力」であって、私は学問を授けただけだ。何れにせよ、彼との出会いは刺激的だった。

山下館長の話は追々語るつもりだが、私に対して「あんたは?」に答える必要があるだろう。自分を自分で語るならば・・・
「私は奇人変人の異人です」と答えることにしている。
ここで云う異人は外国人ではなく、奇人変人の異人だ。霊能者とは全く違うものだが、よく霊能者と間違えられる。噂だけで私を観たら「変人」と片付けておくのが賢明だ。自分についての話も(今後本稿にて)追々語るつもりだ。

写真はホンダのNC-700(右)とスズキのアドレス125S(左)だ。
私の所蔵する「NC-700」は「通信使」のようなもので、密教での倶利伽羅龍王に相当する法具だ。愛称は神始務(かむしむ)だ。

(注一)2012年4月8日増大号(3月26日発売)P37四段18行〜最下段2行



2012/09/21(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(005)  

中学の同窓会へ行った時「山下君、教祖になれた?」と聞かれた。「えっ!」と驚くと「バス停で逢った時、山伏の格好してて、教祖になるって言ってたよ」と云われた。確かに(同級生の女子と)バス停で逢ったことは思い出した。
しかし「教祖になりたい」と言ったかどうかは覚えていない。山伏の格好をしていたのは、観音慈恵会(注一)が開催する大峰山行に参加する為だった。
当時の私は19才、色んな教団を見聞することに意欲を燃やしていた。

私が師から巣立った二十歳代前半のこと、占学原書(注二)を買いに東京世田谷の鴨書店(注三)に行った。
当時は、自分が継いだ学派の信憑性追求に意欲を燃やしていた。
それで多くの占学書を漁(あさ)っていたのだ。店主曰く「先週、観音慈恵会の桐山さんが来てね、たくさん本を買っていったよ。ところで君も出版をしたらどうだい、当てなさいよ」と云われた。その言葉で(僕の継いだ学派に価値があると思ったんだ)と嬉しかったことを憶えている。その後、桐山氏が「密教占星術」の本を出版されたが、内容は密教とは別ものだった。

今回は私自信の思い出話を少しだけ書いてみた。
霊能者談義を続けて行く上での茶話だと思って頂きたい。
写真は、同級生の女子に逢った時に着ていた山伏衣装の一部だ。

(注一)観音慈恵会は阿含宗の前身である。桐山靖雄氏が創始したもの。
残念ながら(学者からの観点では)教義を納得することは出来ない。
(注二)主に中国の原書、台湾で出版されているものが多い。
(注三)望月治氏が引継がれる前、鴨志田儀三郎氏との対話。



2012/09/28(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(006)  

霊能者は詐欺師だと云う人が居る。しかし霊能者を信じざるを得ない人も居る。自分が霊現象を体験した人は「霊能者を信じざるを得ない人」だ。ただし世間には偽霊能者がたくさん居るのも事実だ。全くの詐欺師もいれば、少しは霊能があって結果的に詐欺をやっている者も居る。

「霊能者談義(003)」で、陰陽師神政館の山下款ニ館長を話題にした。元々霊能者ではなかった彼が(ある日)霊能者を信じざるを得ない人になったのだ。「師匠が言うとおり霊も見えるしな。残念ながら、師匠のことを偽者だとは言えなくなったなぁ」と笑いながら言っていた。そんな分けで私の云うことを事実として受け止めてくれるようになったのだ。そして彼自身も「霊が見えないような人に霊の話しても、信じるや信じないやと面倒だ。俺は本物の霊能者とだけ話すようにする」と、今は対談する相手を選んでいる。

ところで「霊能」と「占い」は活用目的からして共通性が多い。と、云うことは「霊能者」と「占い師」にも共通性が多いはずだ。故に占い師にも詐欺師がたくさん居る。30年以上も前のことだが、佐藤六龍氏(注一)の講義を受けたことがあった。講義中の雑談で「科学マジックの講習会をしたことがある」と言っておられた。私は「自称霊能者へ詐欺のテクニックを紹介する」ような印象を受けた。うる覚えだが「ロウソクに穴を開けて水を注入しておくと、その部分まで燃えたら火が消えるのですよ。だから御経を読んでいて途中で消えたら、それに霊やら因縁やらと講釈をつける」と云う内容を例にあげて「霊能者は詐欺師ですよ」と、佐藤氏は締めくくられたように思う。

因みに私の考えだが、佐藤六龍氏は立派な占学者だ。個人的付き合いが無いので人柄は知らないが、氏の占学界への貢献は計り知れない。しかし佐藤六龍氏は常に(多くの占い師から)中傷誹謗の被害を受けられている。占いに関しても、シッカリ学習すれば「本当の詐欺師が誰か」は、見えてくるはずだ。
写真は、私が20代後半に執筆した著書「霊界からのメッセージ」だ。

(注一)透派日本掌門・香草社社長・東洋五術運命学協会会長



2012/10/19(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(007)  

私は十代の頃から多くの霊能者に会ってきた。大衆に溶け込んだ市子(注一)さんや有名な恐山のイタコさん、或いは新宗教の教祖さま。本物と偽物の区別は難しいが、夫々の言葉は異界を語るものだった。私自身は、自分を教祖だと思ったことはないし、活動形態が(宗教学的に観る)それとは違う。私がどのように活動をして、どのような修法するかは、縁者に話しながら今に到っている。

ところで NHKの教養番組 にまで「お笑い芸人」が登場する昨今、真面目に話して聞いてもらえる場は少ない。しかし案外 MRSホームページ には真面目に読んでくれている人が多いようだ。そう思えば「月光寺中傷事件」も捨てたものではない。それを契機として、自分自身を公にすることに意欲が出てきたとも云える。私が自分で自分を云う「異人」については、どのように話せばよいかを現在模索中だ。もう暫く時間を戴きたい。

写真は頚周天(けいしゅうてん)と呼ぶ駆馬神事に出発したばかりの泉野鏡子だ。これから十和田湖を一周する。

(注一)霊の意中を語ることを業とする女性や、神楽巫の少女。



2012/12/28(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(008)  

陰陽師神政館の山下款ニ館長の言葉だが「話をするにしても、符を伝授するにしても、相手が霊能者じゃないと鬱陶(うっとう)しいよ。本物と偽者との区別もつかん奴に大切な符を渡すと、効果の是非にケチをつけよる。自分がフラフラするから符が共振しにくいことに気付く者は少ない」と聞いた。
確かに霊感商法で騙されるのは霊能者以外の人達だ。類型を挙げれば切りが無いので、館長の言葉引用だけで止めておくが、科学も神霊学も分かりもしない者が、霊現象を語るのは滑稽なことだ。

ところで話は変わるが、メニスちゃんは今カナダに居る。通信大学生なので勉強が忙しい。先輩のつぐみちゃんは既に卒業証書を手にしている。ポストつぐみちゃんを狙って頑張っているメニスちゃんだが、なかなか勉強は捗らないみたいだ。それもそのはず、月光寺中傷事件での最大の被害者(注一)なのだ。しかしメニスちゃんファンの方々、御安心を!彼女はとても元気に楽しく暮らしています。この写真は12月に入ってから着信したメールに添付されていたものだ。

(注一)本稿の読者なら御存知のとおり、貞希(メニス)の父と親戚一同が、月光寺中傷を企てて彼女を不幸に追いやろうとしたのだ。



2013/01/25(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(009)  

反重力で「宙に浮く物体」映画の世界では御馴染みだ。スーパーマンが美女を抱いて空を飛ぶ、そんな映像に心ときめくのは子供の頃ばかりではない。
数ある宗教団体には「空中浮遊の偽写真」を使って信者を騙しているところもある。素直なのか馬鹿なのか、そんな偽物を信じる人は案外大勢いるのだ。
人から聞いた話だが、凶悪事件を起こしたオウム真理教でも「空中に浮く偽写真」を公表していたそうだ。

ところで、私は科学が大好きだ。科学の領域で真面目に反重力を考えている。車からタイヤが無くなったら大気汚染が大きく減少するし、駐車場でのスペース確保も高効率になる。何より航空機が静かになって空路からの轟音に悩まされずにすむ。それでは科学的な見地から「人は自力で空を飛べるのか」と自問してみたい。自分の目を疑わないのなら「人は自力で空を飛べる」のが返答だ。しかし科学で大切な「再現性」をものにするには、原理を発見して「実行する方法」を確立しなければならない。もちろん多くの物理学者が重力の謎に取り組んでいるのだから、純粋な科学領域では私の出る幕はないだろう。

私が今まで出会った人には「仙人の飛行法」を真面目に語った人が六人いた。その中の一人は科学者で「原因不明で物体が空中に浮く」のを見たそうだ。他の五人は「仙人との遭遇者」だが、自分の胸に閉まっていて「あまり他言しない方針」を守っているようだ。何れにせよ、ほとんどが偽物である「この手の情報」だが、本物もあると私は確信している。

写真は「偽物の空中浮遊写真」だ。でも瞬間だけは本当に浮いているのだから「偽物」と言ってしまったら鏡子ちゃんに失礼かもしれない。



2013/04/19(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(010)  

子供の頃、母から聞いた曖昧な記憶だが、私の母方祖父は医師を目指していたそうだ。ところがインターンの時、手術に立ち会って顔に血を被った。それで「こんな仕事は自分には向かない」と思って断念したらしい。

その後は印鑑を彫って生計を立て、神戸で開いていた店は盛況だった。ところが戦争で店はダメになり、淡路島へ移転して印鑑を彫りなが細やかに暮らした。
私が知っている祖父は「その細やかに暮らしていた人」なのだが、母の語りによると「祖父は霊能者だった」そうなのだ。

母もよく「霊が見える」なんてことを言っていた。父は「僕は何も見えないけど、自分の妻が嘘をついていると思いたくないなぁ」と言っていた。そして父方の祖母は「まじない好き」だったようだ。祖母は霊能者ではない。しかし「父が子供の時、原因不明で失明した。ところが不動明王(注一)に百度を踏んで21日の願かけをしたら、満願日に目が見えるようになった」ことから信心深くなったそうだ。父は「子供の頃なのでハッキリは憶えていないが、確かに目が見えなくて泣いたことがあった」と言っていた。

ところで話はイキナリ近年になるが、「霊能者談義」の中で極めてユニークな存在が陰陽師神政館の山下館長だ。付き合いは20年以上、最初は普通に友人だった。そして数年、会わない期間があって、次に会ったら霊能者になっていたのだ。霊能者でない頃の山下館長は「因縁や霊だの言う奴は信用できないで」と言っていた。つまり私のことだ。今では「師匠!まともな事、言ってるんや」と言ってもらっている。因みに、私のことを師匠と呼ぶのは(私を信用できない人)と思っていた頃からの習慣だ。私にとっては(私自身が何の努力もしないで)友人から信用してもらえるようになった。と云う話だ。
専門的霊能者談義としての話は今後の楽しみに取っておくことにする。

写真左は山下館長、右は御子息。何度か述べているが、私と同じ山下姓だが親戚ではない。この日は、親子で駆馬神事「護國結界湖周天」の修法をされた。側のバイクは駆馬神事の為に購入された新車。
愛称を「政龍」と呼ぶことにした。

(注一)大阪「太融寺」一願不動明王(高野山真言宗)



2013/11/15(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(011)  

霊能者と云えば巫女(みこ)ですよね。
私の友人が言った言葉だが、巫女には不思議な語感があって、私は口にするだけで疲れがましになる。
漢字一字で巫と現す場合も多く、言うまでもないが女性が担う役職だ。

真条(注一)語りでは「巫は真名美姑と言うてな、時の流れを支えて曲宙(注二)なるを和らげて射陽に立って仕えるんじゃ。巫はと八眞位(注三)と力を合して常立神に通じるんや」なんて分けの分からないことを述べる。真名とは事実の現象を指し、美姑は整った法則を齎(もたら)すもの。結局「誤り無く真実を伝える女」だと云うことを言っている。

巫女は神々の言葉を伝える役だが、地位は低いようだ。これも真条語りによると「権力者はおのれの都合が一番じゃから、神の言葉を伝える女に地位を与えとうは無いんじゃ。じゃから母様に力を持たせないんやな」と、母様なんて言葉がでる。映画やドラマの世界では「巫女は処女でないとダメ」なんて設定が普通だが、真条語りでは「神には夫婦で使える」のが最も良いようだ。

写真は鵜戸神宮にて、2013年9月12日撮影。

(注一)神相学派九三代導士、珪曹(けいそう・高田三蔵)の師。
(注二)神界と人間界の狭間に在る念積によって、神界での出来事が人間界に繁栄する場合、起承転結が入れ替わること。
(注三)八眞位(やまい)常立神の参道を護る神官。



2014/02/21(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(012)  

昨日の夕食時、たまたまソチ五輪フィギュアスケート女子シングル・ショートプログラムの放送を見ていた。正直言って、私はスケートについての知識は皆無だが、美しさを競演しているようなことは理解出来る。そして美しさを支えるのが力強く且つ繊細な技術だ。

ところで「スポーツマンシップ」と云う言葉を子供の頃に聞いた記憶がある。広辞苑によると、正々堂々と公明に勝負を争うことのようだ。それはスポーツマンにふさわしい態度だそうだが、現実のスポーツ競技では何とも切ない思いがする。やはり勝ち負けの戦争なのだろうか。
優勝を祈願する神社参拝でも、私の思う正々堂々とは違う。

競技に勝つのが目的ならば、競争相手のミスはありがたいことだろう。
たとえ選手本人が望まなくても、応援する者達が競争相手のミスを願うことは充分に考えられる。
思い詰めた念を「誰かに浴びせること」は、恐らく珍しいことではない。

私は日本人だから、日本選手が活躍するのは嬉しい。しかし外国選手の活躍も、違った意味で素晴らしく思う。選手一人一人の「魂と肉体の共演」が美しいからだ。ところで、ショートプログラムの放送を見ていて最も印象深かった選手は、ロシアのユリア・リプニツカヤだ。15歳の少女故に可愛いのは当然だが、本人が云うキャンドルスピンは柔軟な彼女ならではの一人技である。
ところがショートプログラムの演技で、彼女は転倒のミスをした。私は、あってはならないミスだと思う。

本稿を打っている今は、浅田真央選手がシングルフリーの演技を終えたところだ。完璧な出来栄えだったようだ。ショートプログラムでは、彼女もミスをした。そのミスも(何故だろう?)不可思議なことに思える。



2014/05/30(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(013)  

密教は「祈りの法」としての修法を考案してきた宗教だと思う。人間釈迦の説法から法身大日の説法だと主張した弘法大師の密教を我々は親しんでいる。真言僧が其法を会得実践しているかどうか私は知らないが、優れた学僧は沢山おられるようだ。

ところで本稿の話題であるが、単純な言葉による心持についてである。写真の場所は多賀大社境内、二十歳過ぎの頃から「思い続けた拘り」を聞いてもらいたい。多賀大社での「おみやげ」と云えば「糸切餅」が有名だが、私は40年間、それが気にかかってしょうがない。日本神話での初夫婦が祭神の大社は「縁結び」の祈願をするのに、何故に名物が「糸切餅」なのだろう。そう云えば二神は火神を産んでから別れることになっている。それを表しているのだろうか。

私は「糸切餅」を食べる時、心中では「これは糸ゆい餅」だと感想している。弘法大師には遠く及ばないが、ささやかなる私流「祈りの法」である。



2014/11/21(Fri)  三蔵フライデー「霊能者談義」(014)  

恐縮だが「霊能者談義」として自分の身の上話をさせてもらう。
「霊能者の集まり」なるものに縁があって、好奇心を満たそうと奔走したのは19歳の頃だった。結局、当時の私は(欲目だと思われるが)師が最も優れた霊能者だと判断した。神相学派九四代と称する真条師に出会ったのは14歳になる年、それから私の人生は大きく変わった。出会いが人生を変えることは一般的にも珍しくはない。私もその一例に過ぎないのだ。

私は子供の頃から幽霊を目撃することが多かった。しかしそれは自然だったので霊能とか云う自覚がなかった。ところが「霊能者の集まり」に参加しての談話中「山下君は霊能者だね」なんて言ってもらうことが多かった。正直、抵抗があった。もし今「お前は霊能者か」と聞かれたら「いいえ、私は、奇人変人の異人です」と答えることにしている。ここでの異人は外国人のような意味に取ってもらいたい。言葉が違うので、何を言っているのか分からない人。なんて思ってもらえれば有難い極みだ。

19歳、交通事故に遭った。一応、双方の即時和解だったので警察への報告はしていない。何でもなく帰宅したが数日後、体調が悪くなって寝込んでしまった。幸い、兄弟子に医師がいたので治療は順調に進んだ。しかしこれを機にして仕事を退職することにした。高校を卒業してから仮就職をして、師の下で勉強に励んでいたのだ。(大学へはは20代になってから、通信課で就学した)事故から約三ヶ月、身体はほぼ完全に回復した。ところが記憶に変調が出て、酷い時は自分が誰か分からない。記憶喪失ではなくて、今までとは違う記憶に悩まされた。兄弟子の医師は「病気ではない。魂の記憶だろう」なんて慰めてくれた。師は「おまえ異人と違うか」と冗談のように笑っていた。

ここからは、アホなオッサンが変な言を云っている。のではなく「小説」として読んで貰いたい。本来ならば19歳の交通事故、大阪の天神橋八丁目交差点で死んでいたのだが、魂が入れ替わって助かった。人には皆、魂があるので。入れ替わったからといっても普通に人である。ただ記憶が混乱している分、普通の人よりも病人に近い。

ところで我々の私文書には、異人と云う単語が度々出てくる。今回は、折角の俄(にわか)小説なので私文書の一説を語ってみることにする。出典は能代大古録、神相学派十一代導士の若かりし頃の話だ。そして異人と出逢った一節。ここでの背景は大昔の十和田湖。十一代が「異人に逢えることを生涯の願い」としていたのは「異人は未知なる記憶を持つ」と云う師の言葉に依る。ここに登場する異人は、魅惑的な女体なのだ。私のような変なオッサンとは違う。不足名姫に御願いして、挿絵を描いてもらった。

大好きな季節の折々に神相を記すことを望み始めていた頃、学も良いが田振女(注一)に想いを寄せること多し頃、師が若年の私へ何故に代を譲られたかを考えていた。身体に病がある訳でもなく生活に不満があるわけでもないのに、胸野に冷風が吹くような感覚があった頃、人として生きるにも学派の整頓には遠く険しいことを実感していた。物心付いたころから師を仰いで初伝を学び、異人を考えては久しい。やがて異人に逢えることを生涯の願いと流決し始めた頃、最も好きな季節の折が訪れた。草の芽が噴くまいと構えていた折は未だ湖水は冷たいが、龍神の昇降は激しく熱気に溢れていた。それで入水して禊法を試しつつ遊んでいたら、足元の湖底に女が沈んでいた。何時に沈んだと考えたら、今と返事が返ってきた。姿は田振女にも見えるが畦織女(注二)のようだった。岸にまで抱えて行って語らいを始めたが、私は落ち着けなかった。裸婦への関心も然る事はないが、何者かが不明である。過ごして一室あたり、異人だと気付いて大いに興奮して嬉しさのあまり抱きついてしまった。すると異人は「水をくれ」と言った。私は水面を濯いで手器を作った。異人は水を飲んでから立ち上がり、湖上を見つめてから仰臥した。そして「三つの十で一歩だけここに居るでに四の話をしせんかの言いたいことがあるで」と語り始めた。

(注一)田振女(たふりめ)裸足で仕事をしている十代半ばの女。ここでは、十一代導士と同年代の少女だと考えられる。
(注二)畦織女(あぜおりめ)和知来を経験した女。
和知来とは子作りを目的としない性交渉のことだが、単に男性経験があるのではなく男を癒す能力と志を持つ女。



- ClipBoard -