最近「マインドコントール」と云う言葉を見聞きすることが多い。これも流行なのだろうが、使用法は本来の意味から離れているものが目立つ。この手の言葉は卑怯(ひきょう)な人間に利用されるのが宿命だ。刑法にある「罪を犯す意なき行為は之を罰せず」等も同じく卑怯な人間に利用される可能性が高い。
「マインドコントールをされていたから」と本人が語れば「それは嘘」と考えるのが妥当だ。本当にマインドコントールをされている者は、マインドコントールから解き放たれた後「明確に自己利益を主張できない」つまり、マインドコントールをした術者と自分との相互関係を正確に把握出来ないのだ。(変な宗教家が何を言ってる)と偉い先生が云うかもしれないが、それが現実なのだ。とりあえず「私はマインドコントロールをされていた」と云う人がいたら、その人は(卑怯な奴だ)と思うのが無難だ。
話は変わるが、私が初めて週刊誌に載ったのは昭和62年のことだ。自分の記事(注)を読んだ感想は(週刊誌は書きたいように書くんだな)と云うことだった。つまり「事実を正確に書く」のではなく(この人はこんな人だ)と決めてから、取材した内容を利用して「本当にこんな人だ」と像を結んでいくように観える。
ここまで読んで「どこが霊能者談義?」と思うだろう。今回だけでは意味不明かもしれないが、これから霊能者について語る上で(001)は凄く重要な内容です。シッカリと頭に入れておいて欲しい。
(注)昭和62年(1987年)2月12日発行、週間サンケイ。
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