私の眼中には便利なキズがあった。パソコンディスプレーに現れるポインターのような感じで、左目の視界に出現していた。子供の頃は、それが読書に役立った。読んでいる文字を、そのキズが追ってくれたからだ。 小学校4年生の時、母親に話したら「便利いいんやね!」と、喜んでくれたことを憶えている。30歳中頃になって、そのキズが無くなっていることに気付いた。
小学生のある時、近所のおっちゃんが家の前に立っていた。「おっちゃん何」と聞いてみたら(おっちゃん死ぬからな、訓ちゃんの顔を見にきたんや)と答えてくれて スッと 消えた。その事は直ぐに母親に話した。母は「訓弘、その事は絶対に人に話したらアカンで!」と、厳しい表情だった。それから十日くらいしてから(そのおっちゃんの)葬式があった。
中学生になってからは氏神様へ参るのが楽しみだった。 氏神様には「いぼ大神」と云う木があって「霊験あらたか」だそうだ。但し、その木について自覚したのは二十歳を過ぎてからだった。それまで私は(その木の位置に)髪の長い女性が立っていると思い込んでいた。その頃、それが木だとは気付いていなかったようだが「神様の正体は何だろう」と真面目に考え始めたのは高校生になってからだ。
高校生になってから、師と「神様について」論議した。私は「科学的」と云う言葉が好きだったので、科学的に神様を考えてみた。師は神相学派の導士なので、学派伝承に論拠を見出す。私は物理学やら電気工学やら(いわゆる理科)を持出して語った。結論は毎回「異界の生物」だと云うことで落ち着いた。但し「こう云うのが神様だ」と云うのは、人間が勝手に製造する。そして「人々に影響力のある人が作った神様」が「これが神様だ」と人々に思い込まれる。 ところで「人々に影響力のある人」は、時代や地域によって変わる。だから「こう云うのが神様だ」と云う意味での神様は、イッパイ製造されていく。
それから、自分流で想う神様は「自分を苦しみから救ってくれる何か」だと思う。自身の都合を100パーセントだしての神様像なのだから「自分を幸せにしてくれる何か」なのだ。そう云えば十代の頃、初めて「これが神様だ」と体感的に思えたのは、氏神様の境内で女性の裸身を観た時だった。添付写真は泉野鏡子が高橋真梨子の「そっと…Lovin' you」を歌っているところだが、氏神様の境内に居た女性の髪と身体つきは「こんな風」だった。
(注一)大宮神社(大阪市旭区大宮3丁目)創建は1185年。真条師の私話では、豊臣秀吉が大阪城の鬼門守護に定めた頃「闇に住む大龍神が淡路島の地中から現れて、斗解地に降臨した」そうだ。斗解地(とかいち)とは大宮神社に対して、真条師が個人的に呼称していた名称。
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