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2013/02/16(Sat)  三蔵フライデー「小説女仙経」(001)  

天会脚之快感(てんえかくのかいかん)
近年は自由奔放に生きる女性が沢山いる。恐い時もあるが麗しいことだ。

一日24時間の内、睡眠は6時間が好ましい。体質によって6時間以上の者もいる。稀には6時間以下の人もいる。本人は6時間以上寝たいが環境が許さぬに6時間以下になる人がいる。それは多分、前世で怠けたからだろう。自分は6時間以上の睡眠を取りたいが、環境が許さぬに6時間ぐらいになれば幸せ者だ。魂の働きが逞(たくま)しいに違いない。太古の人は魂の四様に忠実で和魂(にぎみたま)を求めた。一日を四分して、その一分を睡眠に当てたのだ。

日本の歴史で鎌倉時代、芳雅と云う女が居て女仙になった。芳雅には、弟子と認めた者が24人いた。芳雅は女仙の師になれたのだから弟子は女ばかりのはずだが、男が一人いた。その男は11歳で芳雅と知合って12歳の誕生日に弟子入りしたのだ。師からは省架(せいか)と呼ばれた。省架が弟子に認められた日、省架が師に聞いた。「仙経とは、どの様なものなのですか」師は笑みを浮かべて衣を脱ぎ省架に裸体を見せた。「吾の法は女仙経なるに、先ずは吾を観よ。おまえ立ったまま陽を股間に集めて、そのままで出せるか。やってみるがよい。摩羅に手を触れてはならぬ」

省架の成長は精液放出が可能なところまできていた。そして麗しい師の裸体は勃起するには充分な体印ではあった。しかし直立での射精は難しい。七度目の修行では射精直前まで行った。十一度目の修行では滲み出る汁があった。十六度目、師は「吾の股(もも)を見つめて意を凝らしてみよ」と言われた。省架の陰茎は硬直して小刻みな痙攣を繰返すばかりだった。廿二度目、師は背を向けて立たれた。やや尻を突き出して脚は両肩よりも広く開き、内三に揃えた左右の指を後頸に当てて(注二)陽気を周天された。省架の目線は自然と師の後頸に固まり、股に力が込められ射精が叶った。すると芳雅は前を向かれ微笑んで言われた。「おまえは天会脚を会得したんに。これ女には容易いが男には難儀なものでの。この後は三刻(注一)寝るがよい。和魂に会えるなんせ」

(注一)一刻が2時間なので、三刻は6時間。
(注二)原文では「頚を軽く成すに刃会に戸返を立てて左右を誘う」と表現されている。刃会とは頸の部分。掲載写真を参照。



2013/03/09(Sat)  三蔵フライデー「小説女仙経」(002)  

冷昴女仙花(れいぼうめせんか)
自由奔放に生きる女が、一つの目的だけに生きる女に師事をした。

芳雅は「一つの目的だけに生きる女」として語り継がれている。
其れ故に頑固な女だと思われがちだ。
芳雅に出会った人は、先ずは彼女に反発をして、後に彼女を慕う。省架は唯一の男弟子であったので「省架の語り」は特出した伝えであるが、若し女弟子で最も特出した者を語るとしたら、冷花(れいか)と云う女を紹介する必要がある。
一言で語るなら「芳雅に最も反発した弟子」それが冷花である。

芳雅に師事して最初の一年間、冷花は黙々と修行に励んだ。そして冷花が最初に言ったこと「私は自由奔放に生きる女です。でも師に出会って一年間、修行に身を縛ってみました。それで師の教えの素晴らしさを知りました。そして師の教えの不自然な部分も気付きました。師の教えは女仙経です。男弟子の省架を先ずは追出してください。そうすれば師の教えは更に素晴らしくなります」
芳雅は真剣な顔をして返答した。「お前、うちの教えを更に素晴らしくしてくれるなら、省架と夫婦になって連れて出てくりゃれ」すると冷花は「嫌です。私は省架よりも師のほうが好きです。省架を追出すのに相まって私も出て行くのなら、不自然なままの師に就いていきます」

芳雅には付合っている人がいた。芳雅の生きる目的は、その人を助けることらしい。名を泡集(あわつき)と云って二人は密会を重ねていた。泡集は何処からともなく顕れて、いつのまにか消えて行く。
芳雅に師事して二年を過ぎた頃、冷花が言った。「師匠、あれ誰ですか」師が返す「あれとは」冷花が言う「女仙経の実を施されている男ですよ」それに師が答えた「あれは泡集と云うて、吾に教導する男なんせ」すると冷花はホッとした表情を見せて「師の役に立ってるのですね!それならば良いです」師もホッとした表情を見せて「ああ!そうなんせ」と答えた。

芳雅が冷花に付けた渾名(あだな)は昴女仙。昴はスバルのことで「物事を批判する星神」だ。芳雅に師事して五年を過ぎた頃、冷花は飛べるようになった。女仙教の中軸は飛行法である。芳雅は冷花の飛行法を観て「もう出て行ったらどうじゃに、お前は自由奔放に生きる女なんせ。最後の命令するぞ。昴女の降りる処が在るに。それを自力で探して、神と通じて来い」

冷花は「昴女の降りる処」を探さずに「自分の気に入った処」を飛び周った。そして昴女と出会ったそうだ。冷花の語りによると「昴女は、里に現れては三日間徘徊する。そして、衣服を残して消える」そうだ。

写真は泉野鏡子演じる「少女神」昴女をイメージした。



2013/05/31(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(003)  

姉妹之泉(しまいのいずみ)第一章
女神の姿を水面に浮べる時輪(ときのわ)

小説女仙経は芳雅と云う女が主人公だ。日本の歴史ならば鎌倉時代のことだが、今回の話は「芳雅が語る神世の話」なので、時代考証は難しい。舞台は今、ドイツと云う国が在る土地。そして今は湖だけれども、その湖が単なる湧水であった頃の話。芳雅にとっては何処なのか分からない場所だ。しかし泡集(あわつき)が語った話なので、芳雅にとっては身近な現実に思えた。

コミュラーゼと云う村から北西へ約一時間歩くと、タオツルヘンと呼ばれる林が在る。草原のような雰囲気なのに大木が密集している。林を徒歩で周回すると半時間くらい、そんなに大きなものではない。猛烈に暑かった歳の秋、我々の言葉なら小春日和とでも云うべき心地よく気だるい日があった。コミュラーゼには四季がある。だから人の気分も季節に左右される。暑くて不快だった夏が過ぎて訪れた日和、トゥモウ青年は浮かれてタオツルヘンへ遊行した。小さい頃、度々訪れていたので林の様子は熟知している。
その日は、見慣れない小さな水溜まりを見付けた。最初は雨水が窪みに溜まったのだろうと思ったが、何かが違う。その場に座り込んで小さな水面を凝視した。暫くして全身に軽い痛みを覚え、痛みが去ると口中が焼けるように熱い。とっさにトゥモウは、その水を飲んだ。

水を飲んで、燃えるような口中は平常に戻った。その夜、身体に変化が訪れた。トゥモウは性的なものに疎(うと)い体質だったが、抑えきれない性欲に襲われたのだ。(一時的なものだろう)と思っていた。だが収まる様子もなく気が狂わんばかりに押し寄せる。その水を呑んだ日から29日目、ついに我慢の限界が来て、トゥモウはワチラゼ(娼婦屋)に赴いた。ルンゼ(女将)はトゥモウを知っている。(クン家の子息が何故うちに・・・)と頸を傾(かし)げたが、とりあえずは仕事なので、ラゼ(屋)で一番売れている17歳のアイルビラを彼に就けた。

写真は2013年5月31日:奥津(人工)湖に浜名湖の水を納めている鏡子。



2013/06/21(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(004)  

姉妹之泉(しまいのいずみ第二章
天地に通じる脈動を聞く。

「アイルビラって不思議な子だねぇ」一日一度、ルンゼ(女将)は思う。欲がないように思えるし、何かに渇望しているようにも見える。ともあれワチラゼ(娼婦屋)にとっては有難い女だった。アイルビラは、どんな客でも嫌がらずに接するからだ。自称「女を知り尽くしている男」でさえ「アイルビラは俺に恋してる」そう思ってしまうほどだった。

トゥモウは理屈っぽい人間、頭は良いが賢明には観えない。家が金持だから、普通にしていても傲慢に感じる。「僕は人に頼み事はしない」そんな言葉を口にする表情、それが、トゥモウを最もトゥモウらしく見せる瞬間だ。

ルンゼはよく知っている。クン家のこと、トゥモウのこと。自分も村人の一人として見聞きしているし、仕事柄多くの人からの噂話も聞いている。トゥモウがここへ来ることさえ信じられないのに、トゥモウが駆け込んだ時の第一声が「助けてください」だったのだから(何なのよ?)と驚くのは当然のことだ。

アイルビラとトゥモウが出合う時。ルンゼは安堵していた。「アイルビラなら大丈夫よ!何があっても・・・」

アイルビラはいつものように客を待っていた。

トゥモウはアイルビラに飛び込んで行った。そして何度も「助けてください!」と小声で繰返しながら、彼女にしがみついた。

アイルビラは客の精液を飲み「ありがとう」と、その男に言う。それが普段の彼女だ。ところが、トゥモウの精液を飲んだアイルビラの口からは「泉」と云う言葉が自然と流れ出た。

写真は平成25年6月20日、八重垣神社境内にて。



2013/10/04(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(005)  

姉妹之泉(しまいのいずみ)第三章
潤いの出処を四つの魂に問う。

アイルビラとトゥモウが出合った初日。
リルー(午前中)は晴れていた。この村では珍しく蒸し暑い。例年ならばカラッとしていて、空気の感触は快適なのだ。因みにコミュラーゼでは、春に不快な日が多い。四季中、最も快適なのが秋のはずなのだ。トゥモウがワチラゼ(娼婦屋)に駆け込んだのはリメル(正午)だったが、それから小刻みに時が経つたび、蒸し暑さは増していった。

最初、アイルビラに抱かれるトゥモウは手術を受ける患者のようだった。トゥモウの息は荒く、アイルビラの一呼吸中に彼は三回以上の呼吸をしていた。トゥモウを受け入れてからアイルビラの呼吸が千回を越えた頃、強く抱きしめていた身体を離しトゥワルを始めた。
トゥワルとはフェラチオのことだが、単に男性器を刺激するだけではない。女の呼吸と唇と舌の動き、その三具に調和を齎(もたら)せる方法だ。

トゥモウの身体に癒しが与えられ始めた頃から蒸し暑さは増していったが、リノー(午後から夕になる頃)からは小雨が降出した。不思議とその雨は爽やかで、サラッとした空気に感じられた。

日が暮れて、トゥモウはアイルビラの口中へ射精した。彼女の呼吸と唇と舌の動きに彼の性器は抱かれていた。三具に染みてゆくトゥモウの味、精液はアイルビラの身体に眠る何かを目覚めさせるかのようだった。トゥモウの精液を味わいながら、アイルビラはムンゼンと云う村に在る泉を回想していた。いつもの彼女ならば、客の精液を飲み「ありがとう」と云うはずだったが「泉」と云う言葉が自然と流れ出た。

「泉」、アイルビラの言葉を聞いたトゥモウは彼女の顔を見た。トゥモウはリメルから日が暮れるまでアイルビラに抱かれていた。そして、その時初めて、彼女の顔を観た。アイルビラは、急に恥ずかしくなって頭を下げ「ありがとう」と、初めての客に礼儀を尽くした。

写真は日本時間の平成25年7月9日夜、カナダで受け取った鏡子写メ。



2013/12/20(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(006)  

冷花遭遇鬼仙(れいかそうぐうきせん)
過去の導士に遭遇した女。その師を先明と認めぬ故、尊霊に蹴られる。

女仙経本来の話、舞台は鎌倉時代に戻る。その頃は「姉妹之泉」は、定まらぬ過去の物語だった。とりあえず芳雅の活きた時節に流れを決めてみよう。

「昴女の降りる処が在るに。それを自力で探して、神と通じて来い」と、芳雅から命じられた冷花だったが。彼女は「昴女の降りる処」を探さずに「自分の気に入った処」を飛び周った。ところが昴女と出会ったことは既知なる事実。今から話すのは、飛び始めた冷花が昴女と出会う以前の出来事だ。

冷花が飛び周った「自分の気に入った処」に富士山周辺がある。当然のことだが、彼女は目立つものを追うのだ。ところが富士山周辺を飛ぶのは難しい。初心ならば川に沿って飛ぶ。川は長く在るもの故に尊霊の縄張りが不明瞭だからだ。ところが山は尊霊の勢力図が明確だ。人は尊霊に守られているからこそ尊霊からの規制を受ける。

冷花が士仮名(注一)に降り立った時、急に目眩(めまい)がした。「何やらの毒気に中てられた」と思ったが原因は尊霊からの警告だった。しかも警告を放ったのが妙網(たえつな)と名のる導士だった。すかさず「誰じゃ」と叫ぶ冷花に「吾は富士神界の雇われ者だ」と云う声がした。見渡しても誰もいない。「そうか隣景(注二)から言うとるな」覚(さと)る冷花は、師から相伝された通関之切符(注三)で隣景を観る。すると五五を認めた書を持った男が観得た。「何ぞ鬼仙め成敗してやる」と叫ぶ女に、男は「吾は先明(注四)なるに落着け」と返した。

その男は富士神界の決まりを女に告げた。女は言う「下らぬ念を積めての警告なんぞは卑しきものなるに、聞く耳持たぬは」と。そこで五五を認めた書を突き出した男は「吾は妙網と云う。汝は我名を知らぬか」冷花はハッとした。しかし「そんなもん知らぬは」と返した。そこで導士五五「分かった、下らぬ念を積めたことは詫びる故に飛行の法を述べる時を与えよ」と語って、先ずは身を対沖(注五)に移した。

(注一)士仮名(しかな)今の富士宮市あたりと思われる。
(注二)隣景(りんけい)尊霊界のこと。最も人間界に近い神界。
(注三)通関之切符(つうせつのきりふ)空に符想い浮かべて魂の働きに指向性を持たせる術。九字切に似ている。
(注四)先明(せんみょう)過去の導士。先祖の祖を明に変えた語。
(注五)対沖(たいちゅう)反対側と云う意味。ここでは士仮名から見た富士山の反対側へ移動したことを言っている。

写真は2013年12月2日「かやみ撮影」の帰路、富士川SA下りにて撮影。



2013/12/21(Sat)  投稿裏話「小説女仙経」(006)  

「小説女仙経」(006) の投稿は、成田空港搭乗ターミナルで行った。本来ならば「冷花が身を対沖に移して妙網と語るところ」までを書くつもりだったのだが、搭乗時刻が迫ってきたので短くなってしまった。今はバンクーバーに無事到着して仕事中。今回は人との面会が多く、忙しい毎日になりそうだ。

ところで「小説女仙経」の設定では、富士尊霊界の勢力を周辺四箇所に分けている。先ずは冷花が最初に降り立った士仮名(しかな)は今の富士宮市あたり。移動した対沖は士真名(しまな)今の富士吉田市あたり。そして御殿場あたりを士女名(しめな)と呼び「富士神界に通じる巫女遥拝の場」としている。そして冷花が「富士山周辺を自由に飛ぶために修行をした」とする士田名(したな)は、今の身延あたりになる。

写真は地図で現在の位置を確認したときの様子。頂上は四箇所の尊霊勢力とは関係のない高神界とされている。四箇所が「名」で括(くく)られているのは「身矢(みや)は乗龍して富士に留まり尊霊に鮒気を齎(もたら)すものなれば富士に宮名を残す」と云う伝えから来ているらしい。つまり身矢が鮒気をもたらした四箇所が「田・真・女・仮」の漢字で表されている。
身矢とは「大山から海へ降りて行く龍神」が助力を得た村娘のこと。学派文献では身矢名気と書かれていることが多い。



2013/12/27(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(007)  

冷花観孔雀法(れいかかんくじゃくほう)
冷花は神佛の纏わりを鬼仙に聞く。
されど女は、物欲の悪しきならぬ理(ことわり)を認めず。

姉妹之泉は当時定まらぬ過去であるが、アイルビラの所作は神々に届いて只管(ひたすら)に女仙達に輝きを与えた。
冷花もその恩恵を受けた一人であるが、女に越えられない峠があった。

士仮名から対沖に身を移した冷花であるが、辿りつくのに四日を要した。「飛んではならぬ、歩きて行けや。方之指手(注一)に叶うやら上手く通じぬ故にな」と妙網から言われたからだ。(何が指手じゃ。あんな鬼仙が先明ならば世も末。師匠様に文句を言ってやる)と何度も呟く冷花だったが、頑(かたく)なに五五代の言葉を守っていたのだ。

歩き始めて七刻ほどの頃、休むに安らかなる処を見付けた女は少しの眠りを求めた。すると夢相に天女が現れた。緩やかに飛ぶ姿は自分のそれとは違う滑らかな線を描く。切符のようでもあり、只(ただ)そんな飛序のようにも思える。冷花らしく話かけてみた。「貴女は何方(どなた)様じゃ」天女は答えた「私は孔雀です。貴玉の使いです。目覚められましたら一刻ほど先に水溜りがございます故、そこで禊なさいまして御陰(みほと)を使いなされ」暫く女を見つめていた天女は冷花の目覚めとともに姿を消した。

一刻ほど歩くと大きな水溜りがあった。女は身に纏(まと)っていた布を剥(は)いで入水した。夢で聞いたことを思い、御陰を丹念に洗うと丹が起こり周天を行じた。暫く快感に浸り、再び布を纏いて歩くこと三刻ほど、賑やかな村で娼屋らしきものがあって騒いでいる。気になって覗こうとすると男が蹴られて戸外に倒された。「糧のないものは女を抱けぬわ」と怒鳴られていた。男は死にそうな声で「気散(きさん)が要るに」と呟いていた。
「私がやってやるから部屋を貸してくれ」と思わず言ってしまった女。透かさず「部屋代は」と返ってくる。「この布は良い物なるに是で文句ないじゃろ」と、纏っている布を外して渡した。「ほんまに身削儀(みそぎ)とはこのことじゃ」と成行きに戸惑った様子もなく女は事を済ませた。

村の中、道を歩くと人が観る。別に裸が珍しい頃合ではないが、裸女の一人道中は目立つものだ。次の日、小さな祠(ほこら)の前を通った。フト振り返ると昨日の男が立っていた。「もうしないど」と言う冷花に「纏う布を持ってきた。感謝の想いなんに」と男は云う。「それ、何処で盗んできたんじゃ」と女は言ったものの、何か笑いが込上げてきた。
「おまえ何者じゃ」と呟きながら布を受取って身に纏った。「これ天女の羽衣か」と小声で言ってみたとき、男の姿は消えていた。

そして双日が過ぎた。「ところで五五の妙網は変な奴じゃ。師からは、学派の第五定着を成遂げた御方なぞと聞いたが違うでアレは。しかし師が嘘を言うはずはないから、伝承の誤りに違いない。巳裳(注二)が真相を暴いてやる」と口に出したとき「真相は話せぬ。吾は雇われ者なのでな」と、妙網の声がした。そして一刻ほどして、女は士仮名の対沖へ入境した。

写真は月光寺所蔵の孔雀明王像、秘仏だが稀に御開帳をする。

(注一)方之指手(ほうのさして)方位の影響を云う。
(注二)巳裳(みも)冷花が自分のこと云う一人称、私。裳とは女性の腰に巻く衣服である。巳は干支の巳で、午の前。午は盛んな気を表すので、盛んになる一つ前の巳を纏うと云う意味。師、芳雅の教え「冷花は気押しが盛んになって事を失するぞ。因(よ)って想うことあらば一歩下がって常に巳に住せよ」から起因する。



2014/01/03(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(008)  

携厭素望士(たいえんそぼうし)
自由奔放に生きる女が、融通奔放に活きる男を諭して自信の溝を観る。

士仮名の対沖は士真名(注一)と云う。妙網の話に依れば「真なるは意和であって、自然に在るものの本質を観ることだ。思いを退けることなく押出して洗うこと。それが真名なるが故」と、そこで冷花は話を切り抑えた。「理を百言聞いても解せぬことは多々あるものじゃ。士は雇われ者らしいが、雇われ者ならば雇われ者らしく、法のみを語るが好い」云々。
これが妙網と冷花の遣り取りであった。禅問答ほどではないにせよ、誰が聞いてもよく分からない。しかし尊霊の方々は熱心に聴いておられたそうだ。

冷花が対沖へ入境するや否や始まった二人の遣り取りは、三刻に及んだ。冷花は第五、妙網は隣景。夫々の所在に、人が覗けば冷花しか其処にはいない。独り言を連呼する狂女。恐らくそれが、冷花の姿であろう。最後に妙網は言った。「雇われ者は雇主を悪く言わないからに、富士の神々に謹んで願うことを伝えるだけにする」そして符文を冷花に手渡して消えた。
符文は第五に現れて築紙(注二)になった。其れは「冷仙抄」と呼ばれている。冷花が鬼仙から授かった法釈と云う。

冷花と妙網の遣り取りを罵倒の浴びせ合いにしか聞こえぬは凡耳。修行を積んだ二人の言葉には何れも理がある。只語る「時の流れ」が違うのだ。だから噛み合わない。ここで「冷仙抄」の一節を紹介しよう。これで双方の意が分かる。冷仙抄曰く「士真名の富士神は言うと妙網が伝えた。人の思いは募るものだ。それを利に使うことは天の声や魂の導きがあってのこと、飛び行くも思いの叶いである。富士を舞うには方之指手を学び、無闇に駆けぬこと。其れに冷花が返す。富士神の法は纏まらぬ方だ。巳裳は思いを持って法を得た。飛べる者なれば思いに逆らうことはない。神の都合を人に押し付ける。それは常立にある大目(注三)ではない。巳裳は従えぬが、小目の神々の統治あっての村なれば大衆は逆らわぬがよい」この一節は特に「迷言破象用」と呼ばれ尊霊と接触する為の心構えと伝えられる。

実際の「冷仙抄」は大部分が消失記である。それでも一刻語るに十分な符文は残っている。富四士(ふよし)に当てられた免象印果(注四)は冷花が得た大法であって、後に冷花から師へ伝えることとなる。そして冷花は富士山近縁で半年を過ごし、富士山上空を自由に飛舞した。

(注一)士真名(しまな)今の富士吉田市あたりと思われる。
(注二)築紙(つくし)紙に符を認めて解文を加えた伝授書のこと。
(注三)大目(たいもく)世界全体を公平に観る偏りのない方針。
(注四)免象印果(めんしょういんか)「田・真・女・仮」の漢字で表わされた四箇所に当てる尊霊界の態情。士仮名は留呪象、士女名は敬愛象、士真名は継象、士田名は尊拝象。伝符は写真を参照のこと。小説女仙経の世界設定では代表的な禁厭符である。符は切符でも描符としてでも使える。「冷仙抄」に在る観相は「念は積もりて時を蓄え、経地に加えるは分将之塔。由りて厭(えん)は幸和を跨(またが)り、其れを禁じては仙掌に描く。これ禁厭の符文也」



2014/01/17(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(009)  

姉妹之泉(しまいのいずみ)第四章
今昔に潤う二杭の着岸を求める。

先ずは時代を語る。
芳雅が生きた頃、日本の歴史ならば鎌倉時代。今より昔の昔話だ。芳雅は常に泡集(あわつき)との語らいを待つ。飛行を修めた女仙らしからぬ風情に、落着きの無い様相を見せることがある。

「もうすぐ泡集が来る」そんな確信を持てる時、芳雅は普通の女になるのだ。

これは芳雅が飛べる女になって八十九日目の昼過ぎのことだ。やや、そわそわして宅の近くで立つ。後ろから息切れの微音がし、振返りると泡集の姿。すばやく抱きとめた。「十孟(ともう)が動くから忙しくなる」と小声で言って眠ってしまった。そして一刻「十孟てなんせ」芳雅が聞いた。「昔の人でな泉をみてくれる者」泡集が苦しそうな息使いで話し始めた。一息置いて「何処の泉じゃ」と芳雅が聞く。「籠羅是(こもらぜ)の田尾吊辺(たおつるへん)で水を集めて不二にする。尊霊を星に置いて、星神と通じて今昔を渡す」などと云う泡集の顔を「分かりませぬわ」と笑いながら芳雅は見つめた。

昔話を今の話かのように語る泡集の體、それには生気が無い。「云わじとも良いわ。抱いてやるから静かにな」と優しく芳雅は男をあやした。寝息のような穏やかな息を聞いていると、泡集は目を開けたままで寝ていたようだ。微声に漏れる言葉を拾ってみると、芳雅の頭中に見知らぬ景色が浮かんだ。見慣れない顔相の男女が抱き合っている。
黄金の髪色をした女が見える。男の様子は輪郭があるだけだ。仏典にある歓喜天のようにも感じられる模様に、芳雅は恍惚を憶えた。

そして、泡集の息が漏れる「その泉は潤いを与えてくれるが四処に通じていなければならない。東に行けば陽は昇り火気が増すが、杓になれば水も汲める。士田名に坐して和魂に願えば天乃尺法が返すものだが、左輔星と右弼星の繋がりが弱い。だから昔に遡って根を下ろすしかない。貪狼は命泉を著わすが士仮名と呼ぶしかないのが実情だ。士真名に向かえば女は漸く禄存に会う。女が身を剥げば意は澄みて文曲の利を知り。禊いで裸に浮けば武曲を挟む。それで廉貞は破軍を抑えることが出来る。抑えれば左輔に和知得が就いて、過去の根は水を吸う」これは天之尺法九名詩と呼ばれる重要な女仙呪(注)である。

(注)小説女仙経原文での女仙呪を下記に掲載しておく。
「泉は潤いを挙げて四処を繋がり、東行なれば陽と向合いて進めば和す。田名は水遣り尺法に願うも八輔九弼の糸は弱く、時を渡して重きに縛糸を紡ぐ。一は命泉なるも仮名に留め、真名に遊びては田刈女が物を言う。女名は利を捨てて浮いては咲裸女が修する処。酒を喰うては蔵を割り、葉を分かちてば尺に届く。届けば糸は八位に回り、和を得て知り得るが時之輪也。九名流法流決尺法左右求法大調用法」
三密法に倣えば「泉は潤いを〜」から「〜が時之輪也」までは観想で「九名流法〜」の十六文字が真言に当たる。手印は一般に金剛合掌を使う。

写真は2014年1月12日6時47分、成田空港を眺めて観た朝日。



2014/01/24(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(010)  

雌雄改代義(しゆうかいたいぎ)
女に混じる男を調用する女仙行。

此段は冷花が昴女に遭遇して七十日目のことである。芳雅の弟子に、一人の男がいたことは既に語った。冷花が最も嫌う存在だ。昴女に会って仙姑象(注一)を学んだ冷花は師に討議を与えた。
師はそれを快く受け止め、語る女仙意に耳を傾ける。

冷花が言う「師伝に云う仙姑の象は俗世の生業です。雌雄を調える(注二)ことは女仙経の幹義だと云われました。ただ悪戯に用いるものではなく、夫婦行に囚われる女の兼行に思えます。然れど省架は女仙に混じり、如何様でもなく師に使えております。これを観ても思案しても巳喪は心震えませぬ。女仙経理に照らし、混じる者を除くを本意とします。願わくば、純衣を成させ(注三)たまえ」

芳雅が応える「なあ昴女仙よ、これは汝の渾名(あだな)にな。仙姑象を観たとは尊意に値するぞ。増すに四魂を磨き師を喜ばせぬか。省架は丹神の龍(注四)を守護神に持つ男なんせ。芳は昴女には逢えなんだ。丹神龍も振り返ってはくれぬ。だが、泡集を抱くことに生を尽きるを望む女にな。何れ不老は見えておる。だがな、此身は鮒気散には合わぬ。昴女を受けるは冷ならではに、芳の願いを聞いてくれ。省架と夫婦になりゃれや。」

冷花は応えないで目を閉じた。そして眠ってしまった。師は弟子の寝顔を眺め「今世とは云わぬに」と、微笑んだ。

(注一)仙姑(せんこ)とは何かを仙姑象と云う。
(注二)ここでは夫婦生活を円滑に行うことの意味。
(注三)男弟子の省架を除いて女仙経に徹すること。
(注四)ここでは丹生都比売が隣景に出向く為の龍體。

写真は2013年12月19日、天会脚を行じる泉野鏡子。



2014/03/22(Sat)  三蔵フライデー「小説女仙経」(011)  

姉妹之泉(しまいのいずみ)第四章
神界の湖を観た女と、触れた男。

今回は土曜日の投稿だ。昨日は忘れていたわけではなく、発稿日の変化に私的意義を持った所以である。

本段では「芳雅が語る神世の話」の継続、先ずは芳雅の言葉から聞いてみよう「神世の女仙は人か」そして泡集が云う「人で魂に目覚める行いに徹した女だ。七星に通じて生まれ、輔弼(注一)を得て鮒気を自在に与える」

アイルビラは幼少の頃、同じ夢を何度も観ていた。トゥモウがアイルビラに抱かれる三度目の日、アイルビラはトゥモウに夢の話をした。「身体が火照って目が覚めるの、そして太股(ふともも)がムズ痒くなってから再び眠ってしまうと・・・湖の岸に立っている。空から、シャーって音がして見上げると、コムウ(注二)が燃えながら落ちてきて湖の中へ入って行くのよ。それが沢山の魚になって優雅に泳ぎだすと、湖が活き活きとしてくるの。私は思わず、その水に入ろうとするのだけれど身体が動かない。すると水精のような女性が湖上に現れて『魂に目覚めなさい』って云うの。それで私は『えっ!どういうことですか』と聞くのだけれど、そこで目覚めてしまうの」

夢の話を始めて聞いた時、トゥモウは身震いをした。何か大きくて、高貴なものに触れたような感触だった。そしてトゥモウは唐突に言ってしまった「アイルビラさんは何故ワチリュ(娼婦)になったのですか」すると彼女は悪びれることもなく話を続けた。「この夢はね、何度も観たの。それから13歳になったばかりの冬にあった出来事を聞いてくださいね。ある日、散歩をしていて急に気を失いました。気が付くと林の中に居たの。振向くと人が倒れていたので起こしてあげました。すると私の身体を強く抱きしめて『魂に目覚めて欲しい』と囁くのね。その人は男だったけれど、声を聞いて(夢の水精だわ)って感じました。それが現実か夢か、今でも分からないのだけれど、それから一年くらいしてコミュラーゼへ来ました。ここには母のお姉さんが住んでいたって聞いています。でも病気で亡くなったらしいの。コミュラーゼへ来た明くる日、母とタオツルヘンの近くを歩いていて(あの林に似ているなぁ)って思って入ってみました」

アイルビラの話は続き、トゥモウは「アイルビラがワチリュに成った経緯を知ることになる。当然その経緯を述べなければならないのだが、アイルビラがワチリュに成った経緯には三つの説がある。(小説だったら、一つに纏めれば良いじゃないか)と思われるだろうが、本稿の趣旨では三説とも重要なのだ。それら全てを考察吟味しながら、次章から語っていく所存だ。

(注一)輔弼(ほひつ)ここでは左輔星と右弼星のこと。北斗七星に輔弼を加えたのが職位総主に云う北斗九星である。
(注二)犬のような動物。但し犬の先祖ではない。

写真は2008年8月27日、鏡子水精着の撮影。水の精がテーマ。



2014/04/18(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(012)  

昴女仙引師(ぼうめせんいんし)
遊女遊行して次玄門へ発心を繋ぐ。

此段は女仙経の幹にはならないが、語らずにはおられない一談を設けることにする。昴女仙は冷花の渾名(あだな)であり、仙姑象を観た奇縁を師が尊意に取った所以。
語るは冷花の振舞いが遊女を女仙に導いたこと。それは童女八歳の発心から始まる。具(つぶさ)には、田端刃(たつまは)と云う女行者の生涯を知ることである。

冷花が士仮名から対沖に身を移す道中(注一)に娼屋で射娼をした。それを観ていた若年の遊女がいた。その遊女は射娼の冷花に神を見た。そして「わが生涯の的はこの人にある」と引かれ、千座尊霊を願い三年後に再会を果たしたのだ。その女、俗名を俵朱(たわえ)と云って式卯(注三)生まれと伝えられる。

再会の時「おまえは誰じゃ」と冷花に問われ「貴女を師に仰ぐを欲する者で、名は田端刃と申します」と答え、娼屋で冷花を観た旨を告げた。
後に芳雅に引合わされ女仙経を学び、飛仙女に列席する。彼女を語らずにはおられない理由は二点ある。

一に童女時代に娼屋入りを決心したこと。二に妖精界を自由に往来して「第六遊行記 六体生」を著したこと。我々にとって、六体生(むたいしょう)は妖精達の様子を知る重要な記禄なのである。冷花の伝え(注四)によれば「田端刃には一人の兄がおって、兄を通じて多くの男達を観た。そして幼少の頃から、男を支える女になりたいと願った。衆の思いは娼女を卑しい者と決め付けていたが、彼女は聖なる役割だと信じて、娼屋を職主とした」と在る。

写真は猫を撮る鏡子、娼女の雰囲気を表せたであろうか。

(注一)2013年12月27日 三蔵フライデー「小説女仙経」(007)参照。
(注二)射娼(しゃしょう)無償で男に抱かれること。
(注三)七二伝によると式卯は学派用語で越中のことらしい。
(注四)小説女仙経原文「田端刃は幼少にして男を緩りと観た。兄を主に観ては村の者を見るが、女は持田に生きるが生受之性と知る。因りて三世決裁をして、男を支えるを専らに願った。衆の思象は異なるが、童女の思いは娼屋を聖域とした。屋に群がる者は因果に翻弄される者多くも是は違う。四魂の導きと魂様の発心だ」



2014/08/30(Sat)  三蔵フライデー「小説女仙経」(013)  

中女佇姿心得(あたりめじょしこころえ)
男を得情して女仙を志す女が佇む姿。

女仙経の師、芳雅には嫁いだ弟子が十人いた。夫々常行(注一)が異なり役女(注二)も違う。役女は生活の様式を与えて、女仙行の方法に彩りを齎(もたら)す。それら彩りを砂己想象(さきそうしょう)と呼び、女仙経の静姿とした。

その嫁行十人を列挙すれば(注三)先ず大商の妻、追加。次に小商の妻、茂帯。次に農夫の妻、鋭狸。次に走屋の妻、刈麻。次に水売の妻、潤性。次に均刃職人の妻、錠尺。次に大工の妻、羽塩。次に絵師の妻、咲妙。次に公家の妻、午子京。遊人の妻、杜千。夫々は役女によって行姿が違った。

追加は竈に立ちて静姿とし、茂帯はやや腰を落として静姿とした。鋭狸は田を眺めて静姿とし、刈麻は遠野を想いて静姿とした。潤性は座して静姿とし、錠尺は胸を調えて静姿とした。羽塩は夫を見詰めて力むを静姿とし、咲妙は絵を静かに観じて静姿とした。午子京は礼儀対応を以て静姿とし、杜千は能天気を専らにして静姿とした。静姿は常行のままで仙気を養い、周天を叶える方法だ。これら嫁行十人を模写して静姿十象(注四)とし、女仙経の一節と成った。もちろん彼女達には十色の行記がある。

写真は歌っているメニス。気分は丘ワカメの葉上に座す。

(注一)常行(じょうぎょう・とこいき)ここでは女仙を志した女の日常。
(注二)役女(やくめ)女仙を志した女の立居(たちいち)人妻、未亡人等。
(注三)小説女仙経での読み設定。追加(おいか)茂帯(もたい)鋭狸(えいり)刈麻(かりあさ)潤性(じゅんしょう)錠尺(じょうさく)羽塩(うえん)咲妙(さくみょう)午子京(ごしきょう)杜千(とせん)
(注四)模写十象の女仙経原文「佇むは十象を観る。甲象は双脚にて立ち、乙象は会脚を伴う。丙象は丘から視指を降ろして立ち、丁象は虚空を眺めて座す。戊象は座して陰門を締め、己象は上下の狭間を解いて体状は自然也。庚象は眼を開き力みて留まり、辛象は半眼にして力むも柔軟を持つ。壬象は蹲踞を操り、癸象は脱力を尊しと知る」



2014/10/03(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(014)  

継承之難儀(けいしょうのなんぎ)
伝統を守る女が理を曲げて自縛す。

芳雅は後代を選ぶに難儀する。
それは奔放に生きる冷花が印ず。
代々導士の殆どが男性である。
芳雅の男弟子は省架ただ一人。

省架は丹神龍(注一)を守護神に持つ人、更に学派文献の学習に熱心だった。師は女仙経大成を専らとしたこともあって、一般文献に疎(うと)い。そんな師から、省架は教導(注二)を任せられることもある。女弟子に囲まれて得意気に語る男は、稀に師から頼もしく見えていたようだ。ある日(注三)、芳雅が省架に言った「汝、更に励めば導士を襲帯させるがのう。五相方論に自談を構えるのはどうじゃ。学派は初が女、依地(注四)も女。然して常は男に縁を持つ。思えば代々は女が継ぐが理に叶うが、何故か伝統は男に偏っておる。熟考しなんせ、省架の心次第にするにな」

ところで省架は冷花が好きだった。当然、冷花と語ってから師に返事をする。そして冷花に会うことが出来た。女に告げて、女に返される「何を戯けたこと。やめとけ、導士の器でないにな。お前が継いだら神々が学派を見放すぞ」そこで男も言う「師の考えです。道理を通して師が与えられた機です」さらに女が追う「巳裳(注五)は学派の先を観ておる。五十五とも話した。昴女とも遭った。次代は学派の節目になる。師は優れた女仙だ。泡集様を立派に援けておられる。しかし適代の得縁に恵まれぬ御方だ。省架に託そうとは真に恵まれぬ御方だ。涙が溢れ出るわ」そう言いながら、冷花は皮肉な笑みを浮べた。一方、省架は泣いていた。

冷花と語った明くる日、省架は師に「私は導士の器ではありません」と断りを告げた。芳雅は暫く目を瞑り(冷花よ、依地の意を感じて、この地へ参れ)と念じた。一刻して冷花が来参した。女を見るなり「省架の一変は、昴女仙(注六)の意であろう。再び言う、省架と夫婦になって連れて出てくりゃれ」師は言った。そして女が返す「夢現(うつつ)に師の言を憶えております。師は『今世とは云わぬに』と言われました。来世ならば、省架と夫婦になっても構いません」

女は男に言った「お前が導士の帯を諦めるならば来世で夫婦になってやる。来世で巳裳を見付け、異人様を同行させて来れば四魂が気付いて約束を思い出すはずだ。それに龍神を私に贈ってくれ」その言葉に男は頷いた。師もそれを受け入れた。そして溜息とともに「継承之難儀なんせ」と呟いた。それから木歩一巡り(注七)して、漸く六五代が襲帯された。六五代は優秀な学徒だった。学派へ起入して僅か五年、学派の全てを習得した人。

写真は2014年8月18日、ヌードで歌う蛍メニスの幕間。
メニスは、2014年8月から「小説女仙経」による女仙行を始めた。

(注一)丹生都比売が隣景に出向く為の龍體だと伝承されているが、一説に十六代導士が操る眷属龍神とも云う。
(注二)ここでの教導は、女仙経以外の学問を(師に代わって)他の弟子に教えること。外伝によると「省架は泡集から直伝を得ること十一度也。合わせて次現蔵に立ち入りて十三代伝に親しむ」
(注三)外伝に二説ある。省架二十七歳、或いは三十二歳。
(注四)依地(えち)六四代が自分のことを云う一人称である。外伝には、六四代の愛称としているものがある。「六四は一途な女、地を動かぬは異人を待つ故。女印(めじるし)は動じぬが得策也として泡集を待つ。其れ地に依りて地印を築き、自身の女印を以てするに依地と言う」
(注五)巳裳(みも)は冷花が自分のこと云う一人称、私。
(注六)昴女仙(ぼうめせん)は芳雅が冷花に付けた渾名(あだな)。
(注七)十二年の経過、木星が歳星と言われる所以。



2014/11/07(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(015)  

盤古稟貴玉雫
(ばんこひんきぎょくだ)
盤古は写法を魂技と成すも天性の仙姑を稟けて最強の女を育てた。

小説女仙経の原文では、有名な仙女麻姑が少ししか登場しない。しかし平成女仙経では、麻姑について多く語ることを希望する。学派文献には竿目爪(さおめつめ)と記述され、初代から付き合い(注一)がある。そして芳雅が構築した女仙経は、竿目爪の伝授集成だと考えられる。一方、仙昇門は「流布書ニテ知レズモノナルモ、実ニ有リシ人々也」と述べて(注二)いる。ここで「人々也」と云われているのは中国の仙人達を含むので、仙昇門の法は一般仙法と同じだと考えられる。ところが中国人麻姑は仙法を残さなかった。それに着眼して「小説女仙経」では、芳雅の仙法を「竿目爪の伝授集成」だと設定したのだ。

芳雅が云うに「目爪は齢二千年を過ぎておる」ところが初代に関わって芳雅に出逢うまでの間、一度は死んでいる。どの様に死んだかは後に語るとして、先ずは前世を知りたいものだ。麻姑が行を極めたのは今から三千年ほど昔の話。その女は神一族(注三)から出た。神一族に生まれる前は、紫一家(注四)の次女だった。名は連鹿。母は天性の巫女で、鹿を操る故に操鹿と名乗る。獣への伝心が叶う人だったので、一家は獣に襲われず安らかに過せた。

連鹿の名は「母親の能力を引き継ぎ、鹿に連なる巫」への生長を願ったことに起因する。紫家は夜禮(注五)に住む。その地方で最も身近だった動物は鹿だ。よって連鹿とは、全ての動物に連なることを意味する。七歳の時、傷を負って凶暴になっていた雌熊に遭遇した。襲われかけたが、連鹿と雌熊は心が連なった。更に姉の連生(注六)によって雌熊は癒された。そしてその頃を境にして、連鹿は母親を越える存在へと生長してゆく。

操鹿の印象は「鹿と戯れる女」だ。連鹿は、そんな母を観て生長していった。そして自らも、鹿と共に過すことが日常だったのだ。もちろん人とも通じ、人心の良し悪しも透かして見える。多くを学び、禄存星神を魂に抱いた女。それが神家に生まれた仙女麻姑の前世である。

挿絵は「鹿に寄添う連鹿」不足名姫(注七)に描いてもらった。

(注一)四五神相共策記「仙集火明」〜童様は女と同行していて、仙姑を連れて来たぞと云われた。誰様かと聞いたら、共に遊ぶと思うて竿目爪なるにと云われた〜
(注二)流決仙昇門法義談外論之一「二門念積釈義談会得発心」より
(注三)中国での神(しん)姓。神(かみ)と云う意味ではない。
(注四)紫一家(しいっか)は中国的な意訳名、元語感は異質。
(注五)夜禮(やらい)現在のベラルーシに相当する。
(注六)連生(れんしょう)紫家長女、廉貞星に通じる癒しの巫。
(注七)不足名姫(たらずなひめ)姫ちゃんの画家名。



2015/01/09(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(016)  

姉妹之泉(しまいのいずみ)第五章
病を癒す機序を探れば王薬に逢う。
王は四五結束にして薬は五在変象。

四五結束とは読んで字の如く、四と五が結束することだ。四は魂の世界、五は肉体の世界。病は魂との不調和(注一)によって発症する故、四と五が結束すれば癒しの道は開かれる。変象とは姿の様変わり、五在(注二)とは肉体の住む世界に在ること。薬の働きは五在変象の中にあるが、四五結束にて合薬に(注三)中(あた)る。巫師(注四)曰く「対抗に病を観れば自他を分別しなければならない。自対抗(注五)は自らに中り、他対抗(注六)は環作に中る。四五結束が続けば内より外へ禊ぎ行く故、自を越境(注七)するも他は破魔因を起こして安心を得る」

トゥモウがワチラゼ(娼婦屋)に駆け込んだ病、それは自対抗である。何やらの機会で水溜まりに触れ、魂が急激に穢念(注六)を押し上げたのだ。しかし王薬に出逢った。アイルビラは四五結束の女、彼にとっては癒しの輔弼だったのだ。トゥモウがワチラゼへ通う様子は、医局へ通う病人のようだ。日を重ねるごとに前世からの病が癒され、魂の輝きを取り戻して行く。

アイルビラがワチリュに成った経緯には三つの説がある。その一は神話的、夢で逢った水精に「魂に目覚めて欲しい」と言われた次の歳の話。珍しく朝寝坊をして母に叱られた。その夜、ロクシヤと名乗る天使に遇う。それが現実なのか夢なのかは伝えられていない。(おそらく夢ではないか)と云うのが後の推測だが、この説が最も大事にされる。それは、神界から使いが来てアイルビラに使命を与えたのだ。と、信じたい者が多かった所為(せい)なのだ。

ロクシヤが云う「魂に目覚めてさせてやるから自身を磨いてみるか」アイルビラが答える「色んな事を覚えます。学ぶことは大好きです」するとロクシヤは表情を変えることなく清楚な雰囲気で云う「アイルビラは男を抱くのは好きか」その言葉にアイルビラは明確に即答する「私は男が嫌いです。生涯独り身で勉学に励みます」するとロクシヤは、やはり表情を変えることなく「私の言葉に従って自身を磨くのだな」と、彼女の瞳を突き刺すように見つめながら問うた。彼女は「はい」と魂から叫んだ。そこで天使は優しく「ワチリュに成りなさい」と言いながら彼女を包み込むように、笑みを浮かべて消えた。

(注一)ここでは、小説女仙経の設定としての医を語っている。
(注二)漢語的ならば在五と云うべきだろうが、言霊としての音序に近づけるために五在と表現している。一慣例では、帯妻→妻帯。
(注三)ここでの巫師とは竿目爪(仙女麻姑)のことだと思われる。
(注四)合薬とは薬の調合を意味するが、ここでは病状に適した薬。
(注五)肉体の機能が自身の身体を攻撃する病、自己免疫疾患等。
(注六)感染症を代表とする一般的な病であるが、環作(かんさ)を加えれば事故による外傷も含まれる。つまり外部が原因になる病状。
(注七)ここでは、魂と肉体の狭間に存在する因縁を押し出すこと。



2015/02/06(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(017)  

振女巫之里(ふりめみこのさと)
目爪は合薬を翳して仙気に替え、
雌雄の営みを四魂に問うて去る。

平成版小説女仙経では、仙女麻姑について多くを語る。学派文献では飛行法の専師であるが、合薬を最初に翳(かざ)したのも麻姑(注一)である。合薬とは薬方であり第四代導士の時代、受法を得たのは次代候補の汰化白(たかしろ)だった。ところが彼は師の傍に居ることを臨む。故に(注二)襲帯を断った。

汰化白は七歳の時、竿目爪に出逢う。童子は飛ぶ人を見ても驚かず、その尻を観て言った。「母様と父様が並んでいるよ」目爪は童子の言葉に想いを持ち「飛ぶ法を聞くか」と問う。

童子は頷き、目爪は鬼紐村に半歩(注三)滞在して授法を行った。

汰化白には大好きな幼馴染が居た。しかし、その子は目爪と出逢う三ヶ月前に病死している。ある日、目爪の傍で昼寝をして見た夢に死んだ童女が出てきた。「私ね、産まれ変わって汰化白の処へ戻るから」それを目爪に話すと「夢だからね。でも本当でしょうね。夢だけど」と哀しい表情で返した。

飛行法の伝授は半歩で終わった。そして「後は自分で修練を続けなさい」と云う言葉を残して目爪は居なくなった。汰化白は何度も「師匠」と呟いたが(私は師ではない)と云う言葉が必ず聞こえてくる。後の星霜は順調に過ぎ、汰化白が十九歳になった年。隣湧紐村(わけひもむら)の知り合いに女の子が生まれた。名は清背矢(きよせや)、汰化白は大好きだった女の子が戻ったと考えた。

汰化白が神相学派第四代導士へ師事したのは十五歳になって間もなくだった。飛行法の修練中、導士の目に留まったのだ。その頃、湧紐村から不気味な噂が出てくる。どうやら毎年、山神に生贄を捧げるようになったらしい。導士はそれに魔を感じ「湧紐村は人刈に遣られているのではないだろうか」と察した。

汰化白が二十二歳の夏、彼の飛行法は完成間近だった。崖に立って呼吸を整え、周天は浮機を齎した。地から足が離れ、心地良い感触が全身を巡った。そして飛行を始めて瞬時、清背矢の泣き声が胸に響いた。彼は(何が)と想う間もなく転落。それで汰化白は瀕死の身体となる。続き武曲星神は目爪を呼び、仙女は下(もと)へ舞い降りる。先ずは仙気を浴びせ「吾が教えた飛行で死なせはしない」と二十八日間、合薬を施した。回復した汰化白へ、目爪は合薬法を授けた。

汰化白と清背矢は月に一度は会う機会があった。そして清背矢は、汰化白を年々慕うようになる。当時の常識では「年が離れた叶わない恋」だ。愛する人を遠くから見守る汰化白だったが、清背矢が十六歳になった年「来年の生贄は清背矢らしい」と云う噂を聞いた。其れまでは家畜を生贄にしていたはずだったが、人身御供を行うまでに魔が進入していたのだ。

清背矢が十七歳になった年、湧紐村は魔の巣窟となっていた。「湧紐村へ行き、魔を駆逐して清背矢を助けます」当然に持った汰化白の意であるが、導士は止めた。「人刈魔神が村人殆どに憑依している。我々では叶わない」気が狂いそうな汰化白だったが、導士の言葉の正確さを重々承知している。震える全身から汗が噴出しているが、その自分をどうすることも出来なかった。

いよいよ清背矢が生贄にされる。汰化白は目視できるまで近付き、様子を伺っていた。「戦えば御前も殺されるから、せめて清背矢を葬ってやれ」との師の言葉に依る。清背矢は村の中地に在る神木に一晩縛られていた。清背矢の両親や、まともな者は殺されているようだ。時折奇声を発する村人は最早人ではない。空は暗雲に覆われていたが(あの中に仙女様が居られるに違いない)と汰化白は祈った。「暗雲引水は目爪の船、武曲通じては吾を守り給え」

魔人達は清背矢の身体を存分に甚振(いたぶ)った。そして当に、硬い木切れで彼女の心臓を突き刺そうとした瞬間、神木に落雷。それに驚いた魔人は清背矢を置いて散った。ここぞとばかりに汰化白は清背矢を抱える。すると大雨になる。汰化白は清背矢を抱えながら、清らかな場を求めて歩いた。(武曲通神仙気皆来)暫くすると暗雲から目爪が舞い降りた。清背矢は死んでいたが、仙女の放つ仙気により蘇生した。目爪は清背矢に暖かみが戻ったのを見届け「後は薬で治せ。意思は幼児に戻した。死ぬまで女を放してはならぬぞ」と汰化白を凝視して、中に舞って消えた。それから八年間、二人は森の中で平穏に暮らした。

清背矢が二十六歳になる年の秋、近隣で最も賑やかな追紐村(おいひもむら)で病が流行っていた。ある日、汰化白は薬を売りに行った。流行病は思っていたより深刻、多くの子供が危険な状態だった。汰化白は二十三日間、子供達を救うために合薬治療をした。その成果あって流行も治まり、汰化白は村長から多くの報酬を貰った。それで清背矢の為に着物(注四)を買った。

家へ帰ると清背矢の姿が見えない。汰化白はうろたえ放心状態になる。そこへ目爪が現れ「離れるなと言っただろ。多くの人を救う為とは云え、自身の身を忘れるとは」目爪の心中は複雑だった。(合薬で救われ、合薬で落ちるか)とにかく目爪は、動かぬ汰化白を叱咤して女を捜せと促した。

清背矢の足跡が在る。一月近く雨が降っていないから、微かだが残っている。それは森の反対側を示して沼池まで誘う。清背矢はそこに沈んでいた。目爪は水面を歩き、女の死体に近付き、法力で引き上げ、身体を綺麗に清めてやった。汰化白は泣きじゃくり、筋力も萎えて目爪に縋(すが)るしかなかった。

清背矢の墓は家から二十八歩の処だ。竿目爪が木を引き抜き土を掘り、亡骸を葬った。汰化白は、清背矢の為に買った着物を枕にして毎夜眠った。頭は墓の方へ向け、命尽きるまで過ごした。汰化白の生気が消えた時、目爪は彼の地から飛来し、彼の亡骸を清背矢の横に葬ってやった。そして素早く行動(ぎょうどう)して、魔人と化して九年間生き延びていた村人百三十一人を探しまわり捕まえ、そして惨殺した。

図は不足名姫が描いた「竿目爪が溺死女を引き上げる」ところ。

(注一)小説女仙経の設定なので真偽の議論は無用である。
(注二)導士を襲帯すれば師匠から離れなければならない。
(注三)半歩は約半年。鬼紐村(おにひもむら)の設定は現在の秋田県。目爪は村に滞在していたことになっているが、実際には毎昼現れては夕に何処へ飛び去っている。
(注四)薄赤の生地に小さな花柄。当地では織物が進んでいた。



2015/06/26(Fri)  三蔵フライデー「小説女仙経」(018)  

姉妹之泉(しまいのいずみ)第六章
自身を磨には難儀を越えるのが常。
得手なるは不得手を不見に成す行。

天使から「ワチリュ(娼婦)に成りなさい」と告げられたアイルビラだったが、案外と冷静だった。驚かなかった訳ではないが、それが当り前に思えたからだ。不得手を克服してこそ向上できる。それを何となく知っていた。ロクシアに逢ってから「どうして私は男が嫌いなのだろう。父親には可愛がってもらったし、男の子から虐(いじ)められたことも無い。嫌いというのは、可愛がってもらっているからなのだろうか」そんな言が脳裏を巡る。

アイルビラがワチラゼ(娼婦屋)に入った年齢には諸説ある。十三歳が最も有力な説なのだが、十一歳の最年少説がある。その年少説では天使ロクシアには逢っていない。自分で発心してワチリュになったことになっている。男嫌いと云う話も無く「アイルビラはある時、唐突に、ワチリュになりたいと思った」とある。何れにせよ魂の導きを示唆するもののようだ。しかも魂の出身地なるものを伝える者も居る。それに依ると「拭撒(注一)の女神が龍體から落下して彩灼(注二)主に救われた。それ以後、和魂に欠乏がちな彩灼男神の救いになる」その魂様がアイルビラをワチリュにした。・・・と云うのだ。

挿絵はアイルビラの朝、初めてトゥモウに就いた明くる日。

(注一)拭撒(しきさん)航海守護神族と云う設定である。神界上下層の往来を得意とする関係上、金毛九尾が最も忌嫌う神族。
(注二)彩灼(たみやく)古ゲルマンの守護神族と云う設定である。人間界との交流を得意とする神族であるが、金毛九尾には弱い。



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