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2013/05/03(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(001)  

存在と消滅は常に対向している。
若し、自由に存在し、自由に消滅出来たら、どんなに楽しいだろうか。
テレポーテーションは別の場所へ瞬時に移動をすることだが、これこそ「自由に存在し、自由に消滅」する技術だ。

テレポーテーションの原理を語るには現代物理学による。と、考えるのが知識人の常識だ。実際、原子レベルの転送は実現している。しかし此処で語るのは生物学としての転送原理なのだ。その主導者は四魂(注一)、一般で云う魂のことだ。

四魂の性質は其の規模と存在環境によって変化する。ある形態を保った四魂が物質世界に姿を現わすには、先ず存在環境を特定する。意識的に存在環境を特定することを「二処之絆を結ぶ」と云う。二処が結ばれれば、四魂は物質世界の生物として存在の営みを行うことができる。

人体創造の初発は、二処結絆(にしょけっぱん)を利用して試行錯誤を繰返した。ここでの主導者は大地の四魂。神話では、常立之神(とこたちのかみ)と呼ばれている。人体基本形態が完成した後は、その情報は四魂に格納された。そして(人体基本形態情報を持った)四魂が二処之絆を結べば、一人の人間が実体化する。神話では、これを降臨と云う。

全ての人間は(人体基本形態情報を持った)四魂を持っている。四魂に機能的主導権を委ね、人体に意識的主導権を残すことが出来た者は、二処の絆を結ぶことが可能になる。絆を結んだ二処には同時に存在し、彼方の存在に傾倒して此方を消滅させれば、此処から彼方へ(瞬時に)移動が出来る。

狂犬病ワクチンの発明者として有名なフランスの学者ルイ・パスツール(注二)は、生物の自然発生説を否定した。しかし私の「小説・生物学」の世界では、生物が自然発生することがある。「虫が涌く」と云う言葉どおり、条件が揃って二処結絆が成立すれば「何も無い処から虫が涌いてくる」のだ。

写真:鏡子の前に在るのは水槽だ。白点病の治療のため、金魚を薬浴させている。これは金魚と云う生物への存在支援である。

(注一)魂は、奇魂(くしみたま)幸魂(さきみたま)荒魂(あらみたま)和魂(にぎみたま)の四機によって構成されている。
(注二)Lous Pasteur 1822年12月27日〜1895年9月28日



2013/05/10(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(002)  

前回「小説・生物学」(001)で、鏡子が金魚を薬浴させている様子を掲載した。昨日、経過を聞いてみると「一日一匹の割合で死んでいるけれど、とっても元気な子もいる。だけど白点は落ちないなぁ!」と、言っていた。

ところで「病原と治法」は同時に存在しているようだ。魂は自然環境に応じて生体を創造して行く。生死の選択は四魂の普供(注二)が握っている。存続と消滅は夫々の縁具(注三)を使って鬩(せめ)ぎ合う。それらは環境と呼応して報じられているので、生体意識の「望むと望まざる」に関係なく実行されるのだ。鏡子が「金魚に薬浴させている様子」は金魚の存在支援であって、金魚にとっては「環境変化」である。

私が小学生の時、白点病の治療には硫酸キニーネ(注一)を使っていた。子供心で「魚の御医者さん」になった気分がした嬉しい思い出の一つだ。その頃は、近くの薬局で「硫酸キニーネください」と言えば、小学生でも販売してくれた時代だった。今は大人でも販売してもらえないから、小学生の頃のような「魚の御医者さん」は存在できない「新しい環境」になったのだ。これを「治法の縁具を失った」と表現する。

健康な生体を維持するには「環境に適応」するのが当然の営みだ。その為には過去と現在の情報を正確に掴んでおくことが必要だ。人は記憶を「もて遊ぶ」ことによって事実を曲解させることが多い。純粋に忘れるのなら良いが、違った記憶を浮上させて(自分の思いで、事実とかけ離れた)内容を実築させる。故意に嘘をつくこと以外に、自分が実築させた仮の環境で他人を陥れることがある。これは「社会における病原」だ。

自分が誤った事実を基にして「自分自身を騙(だま)さない為の予防法」の一つに日記がある。日記を読み返せば、過去の事実が蘇り記憶を正す。ただし事実を記録したものに限るが・・・。
写真は「本日経験した事実を記録している」メニスの様子だ。

(注一)マラリアの特効薬として知られている。
(注二)普供(ふぐ)一時的に魂が肉体へ作用を与えること。私的用語。
(注三)例えば「消滅の縁具は病原、治法の縁具は薬」等と相当する。



2014/02/28(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(003)  

「小説・生物学」は金魚を薬浴させている様子から始まった。今回の写真は、鏡子が水槽のメンテナンスをしている様子だ。そして下段水槽で泳いでいる金魚10匹が、薬浴での生き残り。

ところで金魚の先祖が鮒(ふな)であることは誰もが知っている。科学的な表現ならば「金魚は人為的飼育で淘汰の末に出来た品種」となるそうだ。

本稿では「小説」らしい設定を試みる。
太古大きな龍神が重く固まった念塊に衝突して、龍神の身体は粉々になった。その小さな粉が下の神界へ降り注いだ。その粉は和を司る粉魂だったので、水の中で癒しの魚になった。

そしてその魚は、人間界で鮒と云う魚種に宿った。
人間は鮒から「癒しの魚」を見出すことに成功した。それが金魚と呼ばれる品種だ。だから人間は金魚を飼って癒されるのだ。



2014/03/14(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(004)  

「STAP細胞」の論文が話題になった時に最も印象深かったのは、理化学研究所の研究ユニットリーダー小保方晴子さんの魅力だった。日本の学者さんに「こんな可愛い女性がいるとは」と驚いた。私の印象はそれだけだった。小説生物学の設定だったら「晴子さんの観測は正しい」に決まっているのだ。

我々の世界には沢山の生物がいます。この小説の主人公は人間なので、とりあえず人間について考えることにします。人間には身体がありますが、身体を活かしているのは魂です。魂と身体が揃っていて、一人の人間が存在します。そして、人間が生きている為には世界が必要です。世界が在るから人間は生きています。
更に「何故、人間は生きられているのか」は生物に規則があるからです。でも規則は稀に破られることがあります。

規則がなければ砂の粒だって人間になれます。ましてや人間の細胞だったら当り前に人間になれます。魂の働きはそんなものです。でも人間は卵細胞から生長します。それは「そんな規則」があるからです。それは時間の秩序を護るためです。宇宙の卵は「時間と身体を丸めた粒」でした。それが弾けて大きくなったのです。人間は、その宇宙に住んでいて宇宙に最も似た生物です。だから宇宙の規則を守ります。でも守らないときがあって良いと思います。

ある細胞が「その細胞である」のは、固有の時間規則を担っているからです。だから他の細胞にはならないのです。でも小保方晴子さんのような魅力的な女性に弄(いじ)くられたら、規則を破ってしまいます。それで規則違反の現場を彼女に観られてしまいました。でも、これを機会にして「新しい規則」を制定してみたら楽しいですよね。



2014/05/23(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(005)  

神社の手洗いでは、水の出る蛇口が龍であることが多い。大阪の住吉大社では兎口があった。蛇口は明治後期になってから使われ始めた単語であって、それまでは龍口(たつのくち)等と言ったらしい。当然、龍が居る手洗いは龍口なのだから、多くの手清めや口漱(くちすすぎ)は、龍神から水貰(みずもらい)しているのだ。

ところで現代科学文明世界での龍は「想像上の動物」と云う定義になっている。それでは小説生物学世界の定義ではどうか、概ね二種ある。一つは「神々の乗物」で、もう一つは神霊としての「龍神族」だ。生物学の概念としては後者の龍神族がシックリ行く。前者の乗物は龍體と呼び、神々の分身で(注一)私達の車や飛行機のような役割だと云う設定だ。
二者の違い、特に見分け方は「移動の様子」にある。

龍體は障害物さえ無ければ「的処に向かって最短を移動」する。一方龍神族は身近な大地の形状起伏をなぞるように移動する。但し水中のような密度の高い空間に関しては、龍神族も「的処に向かって最短を移動」できる。もし龍を観た経験或いは思い込みのある人は、本文を参照しながら思い出してもらいたい。

写真は、ハーレー社純正トライクに乗って手力雄神社(注二)へ辿りついた綾沢まみ子であるが・・・二輪とトライク、乗った感触の違い(注三)は「二輪が龍體でトライクが龍神族」ってことを述べておく。もちろん「小説・生物学」の世界である。

(注一)神々の四魂のうち「荒魂」を主に使う分身。
(注二)天手力男雄命(あまのたぢからおのみこと)は天岩戸を投げ飛ばした神だと云う神話がある。小説生物学の設定世界では、高天原の門戸を往来して神々を運ぶ龍神族の頭領。妻神が天手揉衣秘雌(あまのてもみえひめ)と命名されている。
(注三)これは乗った感触を喩えているだけ。実際には二輪もトライクも、龍體や龍神族双方の法具として使用している。写真のトライクは、一人の操龍士で二大龍を引率して駆馬神事を行っている。つまり一回の周天で、二周と数えているのだ。



2014/06/06(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(006)  

本稿のタイトルは「小説・生物学」であるが、最初は別タイトル「金毛の剃髪」に分類しようと考えていた。2014年6月5日の朝日新聞一面を読んだことが動機になったからだ。そして私の感想は・・・「内容は生物学、しかし現実は権力闘争」と強く脳裏に描いた。しかしこれは常の如く独断、言いたいことを述べるだけなので「小説」の設定になった。

「STAP細胞」の存在は現実にある。それは小保方晴子さんだったから作製に成功したのだ。但し今のところ、認識材料が欠けているので他者には再現出来ない。朝日新聞一面には「STAP研究 白紙に」と書いてあったが、決して白紙にはなっていない。晴子さんの権利を白紙に戻したい者たちが存在しているだけだ。その証拠に、彼女達の研究を下地にした研究が今後も続行されて行くだろう。

全論文の撤回同意に小保方晴子さんを追い込んだのは、決して科学的手法によるものではない。それは法律を利用した「権力による科学の弾圧」である。「小説・生物学」の世界では「STAP細胞」は当たりまえに存在している。

ところで生物学を知らない者達が、小保方晴子さんを中傷した発言をしているようだ。これは「ネット犯罪の摘発」が適切なタイトルになると思う。そして本稿の発想は「人間は何万年もかけて、まだまだ獣の本性から抜け出せない生物である」と云う思いで落着いた。



2014/08/15(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(007)  

私は二週間のカナダ出張を終えて、12日に帰国した。カナダ滞在中は忙しくてニュースも視聴していなかった。帰国して驚いたのが笹井芳樹さんの自殺。「小説・生物学」の世界では、自殺は自力で行えないことになっているから「誰の助けで死んだのだろう」なんて思ってしまう。但し本稿では、小説とは云え学問の話題なので、自分で死んだとしか観得ないから自殺だと了解しておく。

これで小保方晴子さんは一人になってしまった。
昨日(14日)予約録画しておいたNHKスペシャル「調査報告 STAP細胞 不正の深層」を視た。一見、科学的な検証番組になっているが納得出来ない流れになっている。私は多少なりとも編集作業を知っているので、番組の裏にある何かを感じるのだ。さすがにNHKだと感心できるのは「不正の真相」とは銘打っていない点だ。「不正の深層」とは上手く主張したものだ。

「小説・生物学」の世界には「STAP細胞」は当り前に在る。それは時間の一方通行に似ているが、細胞の立ち位置を問題にする。細胞そのものには臨機分裂の機能がある。制限されているのは時間規則のみだ。ならば現代の生物学だけでは解けない。理論物理学などの突拍子もない発想が欲しい。

以前私は、生物学の講義を楽しく視聴したことがある。1992年放送の「NHK人間大学 生物の発生 生と死のドラマ」だ。講師は京都大学名誉教授の岡田節人(ときんど)先生。この頃の私は、ヒマラヤ聖者が指を再生する話題に興味を持っていた。その真偽は分からないが、節人先生の講義中「指が再生された臨床があります」と語っておられたのが衝撃的だった。そう云えば、笹井芳樹さんは京都大学で節人先生の講義を聞き発生学に興味を持ったらしい。その節人先生は御存命のはずだ。

写真は何でもない金魚だ。我が水に迎えた頃は真っ黒い金魚だったが、数ヶ月前から赤に変わり始めた。別に珍しい現象ではない。「STAP細胞」とも関係のない写真である。



2015/02/27(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(008)  

私の父方祖母は胃癌で亡くなった。
祖母の発病から臨終までを観察したことと、祖母の食生活や性格を知っていたことで、私は癌を擬人化して更に象形化(注一)することが出来た。もちろん専門の医学知識は無いのだから想像上の物象感である。その頃は工業高校で電気を学んでいたこともあって、何でも電気工学的に考えることに偏っていた。

脳から発する信号は全身の大部分を制御しているはずだが、信号の波形や位相が異常象になることがある。と仮定して妄想を膨らませて行くと、大黒天と荼枳尼(注二)が観得てきた。身体細胞の維持は全身を巡る血液で賄われ、その多くを心臓が担う。大黒天は脳のように思えて全身を統制しているのだが、心臓は直接の制御下には無い。故に、荼枳尼が陣を張れるのは心臓に限られる。心臓以外で活動すると大黒天の統制下に入ってしまうからだ。

脳の全身統制は、魂に最も近くて電気的だ。一方、心は流れを押出して念の粒を運ぶ。それは血流に乗って搬送され転移する何かだ。大黒天は天部であり大自然との呼応があるが、荼枳尼は夜叉部なので自然を無視した策に走る。策は末路を進退両難に迎えることが多く、生物で云えば癌化だ。自然は旺墓を往来するが、癌化は極めて少ない。

ところで小説生物学、以前からの話題。小保方晴子さんのことだが。STAP細胞は「細胞への環境刺激を試して初期化を模索する」故に、小説生物学の設定では天部の法になる。それに対し、iPS細胞は「遺伝子操作と云う策による初期化を実現」故に、小説生物学の設定では夜叉部の法になる。
生物を固有時点から未来に進めるにせよ過去に戻すにせよ、遺伝子操作は癌を氾濫させるのが結末だ。

写真は私文書に出てくる妖精界の生物だ。六体生-06 触膚界五「積葉育成體」
環境に応じて色んな植物に生長する。背景は泉野鏡子の仙骨発生符。

(注一)神話などから「癌の動きをするもの」を探した。
(注二)ダキニは初期密教で女象を顕す。それはヒンドゥー神話に直接的なものであり極めて高神位の働きを捉えたものだ。中期密教になって人間位に近い雌雄混合象になるが、その位であれば大黒天の教化もしくは調伏が必要になるのだ。一行禅師が大日経疏に記載した内容である。



2015/04/17(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」  

クラゲの漢字表記は海月と水母。
神話でのクラゲは元々骨があった。
(そんな話は沢山あるらしいが)

もし海月に骨格があったら・・・
もし水母に関節があったら・・・
どんな姿になるか想像してみた!

小学五年生くらいだったと思う。
結局、人の姿になった二足歩行。
スケルトンにはならない白人女。

なぜクラゲは女なのか。水母と書くから単純にそう思ったからなのだが、海月の場合でも女なのか。そこで雌雄に振分たらスッキリした。海月が雄クラゲ、水母が雌くらげ。ついでに中に入れてみた。水雌母と海雄月。分かれてみたらカップルに観える。そう云えば「水女が母ならば海は月雄を写す」と云う一節を聞いたことがある。小学生の観た夢の中だったけれど・・・

写真は2015年3月27日ホノルル水族館、私が撮影した。



2015/07/17(Fri)  三蔵フライデー「小説・生物学」(009)  

17歳の時、師から聞いた生物学。まさに小説生物学の話題に相応しい。師曰く「生物の違いは動く早さと食物で決まるんじゃ」真条お婆様の言葉には驚かされることが多かった。私の口から出た言葉「加速系と居住空間の関係ですか」私の言葉を全く無視して師は更に曰く「ムジナと龍の違いが分かるじゃろ。ムジナは速過ぎてな、龍と仲良く出来ないんじゃ。可愛そうにな」そのへんで何となく分かった気がしてきた。やはり師と対話して三年の年月は、耳を慣らしてくれたのだ。

ところでメニスは歩くのが速い。「これで普通だよ」と云う早さでも、私は小走りでも追いつけない。決して大袈裟ではなく、いくつかの事実で実感している。身長がメニスよりも20せんち以上も高く、しかも歩くのが速いと自称する男性と普通に並んで歩いたそうだ。その人が驚いていた。

私は特に歩くのが遅い。先日、メニスと散歩をした。私は競歩くらいの感覚で精一杯歩いた。内心(これでメニスと散歩できる)とは思ったものの散歩とは程遠く、まるで運動会だった。そこで聞いてみた「これが普通の散歩かな」メニスは「三蔵に合わして少しユックリ歩いたよ」と答えた。ムジナと龍はどれくらい移動速度が違うのか。小説生物学の設定では「ムジナ族は彗星の速さ。龍は月を追いかける」と云うことになっている。

写真は2015年6月14日、歩いてバイト先へ向かうメニスを盗撮した。



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