本稿で云う「論談」とは、私的用語(注一)である。論は導士が考えた論説のことであり、談は知識を述べたもの。分かりやすく云えば「気楽に語るのが談」だと思っていただければ良い。 (イキナリ何の話ですか)と思われる諸氏多きと察するが、許容して御付き合い願えれば幸いである。
師を質問責めにした十八歳(注二)の頃、伝承された文献だと云うものを読んでいると「・・・論」と「・・・談」の二種が主だった。師に「これは何が違うのですか」と聞くと「感じが違うやろ」と返ってきた。思わず僕は「え!」と驚いた。その様子を見て、師は大笑いした。「おまえ頭が良いのか神経質なのか、論談の違いが気にかかるのじゃな。一応云うとな、論は導士が責任を持って話す内容や。談は噂話みたいなもんや」 更に僕は驚いた。(うわさ話みたいなもん?変や!)
何を(変や!)と思ったかと云うと、師が噂話だと称する「・・・談」が非常に科学的で説得力のある内容だったからだ。学派文献の根幹だと聞いたものが「五相界略談」と云う文章だし、九二代導士が心血を注いだ学派伝承の集大成が「無始神相伝法談」だ。それが、簡易な表現が学派の特徴だと気付いたのは30代になってからのことだった。
ところで本稿では「小説女仙経」のように小説を付した題材を語っている。もちろん一般で云う「小説」の意味なのだが、私としては「最も真面目に書いている文章」に「小説・・・」としているのだ。
今後、その言訳を「小説論談考」で語って行こうと思う。 写真は猫がテーマだが、最も真面目に撮ったものだ。
(注一)神相学派が身勝手に使用している造語である。 (注二)私は今年に還暦なので四十年以上も昔の話だ。
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