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2015/08/04(Tue)  essai-001「更地」  

中学生の頃、歩いて20分くらいの処に映画館があった。普通の映画と成人向映画を三本立で上映していた。

どう云う訳か、18歳未満の僕を何度か入れてくれた。もしかしたら本格的なポルノじゃなくて、ヌードがあっても性描写の軽い映画だったからか。

とにかく、僕でも入れてもらえたことが大切なことだ。

恐る恐るチケットを買って(無理かなと怯えながら)
「どうぞ」と言われた時は泣きそうに嬉しかった。
年齢だけのことなのに、まるで罪人が許されたように
感謝の気持ちを持ち続けたものだった。
その映画館の近くを通るだけで胸が熱くなった。

入館するには御金がかかるのは当たり前のこと。
看板はタダで見れるから、見せてもらっていた。
ある時、ウキウキして行った。御金があったからだ。
ところが閉館していた。一瞬、生唾を飲んだ。

閉館してからは、そこへ通うことが増えた。
徒歩が原則だが、自転車でも行った。
その行動に「訓弘!しょっちゅう何処行ってんのん」
おばあちゃんが僕の異変に気付いてしまった。
映画館のことは言えなかった。
「運動してんねん!鍛えないと・・・」
それが嘘であることを祖母は知っていたはずだ。

閉館して、どれほど経ったか。時間感覚は無い。
ある日、工事のような景色になった。
その景色はやがて「更地」を顕した。
僕は更地を何度か見に行った。やはり楽しい。
そして新しい建物が顕れてきた。
それから数ヶ月・・・
僕は何でも無い日常に帰った。



2015/08/16(Sun)  essai-002「合法反逆士」  

小学生の時、同級生に口の上手い奴がいた。嘘は言わないが、嘘よりも質(たち)が悪かった。ある事を大袈裟に言ったり矮小に表したりする。
しかも単語を巧みに選択しているから、聞いた相手は事実を履き違える。
奴にしてみれば それが狙いだった。
その人の言動は、私の人生で最初に認識した「合法の反逆」だったのだ。

同じ頃、癖のように嘘をつく同級生が居た。しかし嘘は事実によって暴かれる。だからその子は事実を恐れていた。とうぜん最も恐れるのは証拠である。それで証拠の出せないこと、たとえば本人の感想等は、言い放題になる。楽しく遊んでいた事実があっても「僕は虐(いじ)められていた」なんてことを、息をするように容易く言う。

合法反逆は嘘つきよりも悪意が濃厚だ。子供心にも、私はそう感じていたように思う。そして大人になって怖い現実を知った。合法反逆を仕事にしているエリート達との遭遇である。それは、エリート達が嘘つき達を有料で援助する現実。人間社会独特に歪められた生々しい弱肉強食の現実である。

そんな事実は殆ど他人事だ。ビデオ影像のように、観ているだけで手出しをする機会はない。しかし奇遇にも現場の目撃者になってしまったら、やはり沈黙を護るのは罪に感じてしまうだろう。

写真は2015年8月11日、メニスの脚に中る日光を観ていた。
その明暗に誘発されたのか、20代後半の自意識を回想していた。



2015/08/25(Tue)  essai-003「流行り草」  

嘘を真顔で言う奴がいたら、
・・・必ず嘘を暴いてやる。
子供の頃から時折、脳裏を過(よぎ)るセリフだ。大人になって自分が成長したことの一つに、嘘を真顔で言う奴を見ることに慣れたこと。

それに、結果として嘘になってしまう発言は対相から誘導されることもある。それも大人になって自覚した。

ところで嘘を暴く最良の法具は「嘘であることを暴く証拠」だ。当然、証人は大切だ。しかし、証人も嘘をつくかもしれない。証拠物件でさえ改竄(かいざん)なんてこともある。しかし愁えることはない。事実は強いのだ。私の友人に弁護士がいるが、彼曰く「何を画策しても証拠を出されたら最後だね」

ところで「三蔵フライデー」は終了したが、目的活動は続行している。さらに時間をかけて質量を蓄えているのだ。ネットによる中傷が横行する昨今、法の整備は未未だ。よって時を見計らうことが肝要。嘘は必ず暴く所存です。嘘を暴く法具にも「流行り」がある。残念ながら私は、流行の先端には追い付けない。しかし、粘り強く頑張る根性はあると思う。

師の言葉に「流行り草」と云うのがある。私流の解釈では「時代環境の後押し」となる。写真はメニスの御気に入りショートパンツだ。昔、女優さんが着ていたような記憶に懐かしさを感じる。今夏、バンクーバーで流行っているのか?店頭で多種見かけるらしい。メニスが言う「流行りみたい!だから種類もイッパイあるし、値段も安いの!」これこそが「流行り草」だ。

時代環境の後押しによって、メニスは欲しい物を安く買えたのだ。



2016/05/19(Thu)  essai-004「一即衆」  

ハーレー乗りの国内最大イベントはブルースカイヘブンだ。今年は5月21日と22日に富士スピードウェイで開催される。しかし5月の私は、毎年海外出張が通例。それで参加したことがない。故に「鏡子たちの参加報告を聞いて楽しむこと」が私流ブルースカイヘブンの参加になるのだ。

バイクで会場まで走る。それが最大の楽しみではあるが、会場を闊歩するのが別の意味で醍醐味だ。そしてそれに衣装は付き物。

18日、鏡子からの写真メール。
今年は引き締まった感じで会場を歩くそうだ。ところで会場が映えるのは、色とりどりの人が居るから。とうぜん会場の為には人が必要だ。そして人が楽しむ為にこそ会場は在る。

衆に混じり、一連の時間内を彩るには、会場に同化することである。だが、それだげでは物足りない。特出も狙いたい。人情とは、そういうものなのだ。だから参加する者にとっては衣装が重要になる。選択の難、それを越してしまえば会場に自分が映える!「色々考えたけれど、この服に決めました」と、鏡子メールの本文にはあった。バイク乗り独特の魅力が発散しそうだ。



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